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嘉手納町かでなちょう

嘉手納町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1908年から

今の嘉手納町

沖縄本島中部の西海岸にあり、東シナ海に面する町です。北側を流れる比謝川が読谷村との境をなし、川沿いには水辺の自然が残ります。町域の大部分を米軍基地が占め、住宅や商店は比謝川と飛行場の間の限られた土地に集まっています。野國總管の墓や宮が甘藷伝来の歴史を伝え、比謝川での自然体験や道の駅かでなも地域の交流の場となっています。

今の嘉手納町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,521人です。今の区域で数えた1980年の14,094人とくらべると4.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は24.3%です。

13,521人人口(2020年)
−4.1%1980年からの増減
15.12km²面積(国土地理院)
894人/km²人口密度
24.3%65歳以上の割合
14,1261980199020052020
15歳未満 17.2%15〜64歳 58.5%65歳以上 24.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:商業・サービス業を中心に、食品加工や自然・歴史を生かす観光が営まれています。

特産品・名産

  • 野国いも加工品甘藷伝来の歴史を伝える加工品
  • 黒糖まん町の名産として親しまれる菓子
  • 田芋饅頭田芋を使う町の加工品

見どころ・祭り

  • 野國總管の墓甘藷を琉球へ伝えた人物の墓
  • 野國總管宮野國總管をまつる場所
  • 比謝川自然体験センター比謝川の自然を学ぶ拠点
  • 屋良城跡公園屋良グスクの歴史と緑に触れる公園
  • 道の駅かでな地域情報や物産を扱う交流施設

木リュウキュウコクタン花ハイビスカス嘉手納町の木・花

嘉手納町のなりたち

嘉手納町(かでなちょう)は、沖縄県中部地方の町です。

1920年の郡
中頭郡
01920年の町村の数
0回合併・編入の回数
15km²今の面積

「嘉手納町」という名前

「嘉手納」は、戦前から北谷村の字名として使われていた地名です。県営鉄道の終着駅も嘉手納駅と呼ばれていました。1948年に北谷村の一部が分かれた際に嘉手納村となり、1976年の町制施行で嘉手納町となりました。現在も字嘉手納と町名の両方に使われています。地名そのものの語源や、分村時に村名を選んだ詳しい経緯ははっきりしていません。

まちの成り立ち

嘉手納町の地域は、かつて北谷間切に属していました。1908年4月1日の町村制施行後は、中頭郡北谷村の一部でした。戦前の嘉手納には県営鉄道の終着駅が置かれ、農林学校や製糖工場なども集まりました。比謝川には物資や家畜を運ぶ船が入り、中頭地域の経済・文化・教育の拠点となっていました。

沖縄戦で地域は大きな被害を受け、戦後には嘉手納飛行場の拡張が進みます。1948年春ごろまでは飛行場内を部分的に通れましたが、その後、通行が全面的に禁じられました。旧北谷村の地域は飛行場によって分断され、嘉手納地域から村役場へ行くにも遠回りが必要となりました。暮らしや行政運営への支障を背景に、同年12月4日に北谷村の一部が分かれ、嘉手納村が発足しました。

基地の拡張で宅地や農地が軍用地に変わる一方、住民や事業所が集まり、市街地が形成されました。1972年5月15日に日本復帰を迎え、1976年1月1日に町制を施行して嘉手納町となりました。現在は比謝川沿いの自然や、甘藷を伝えた野國總管の歴史を生かす地域づくりも進めています。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年沖縄県及び島嶼町村制の施行により、中頭郡北谷村が発足し、現在の嘉手納町域もその一部となった。種類:町村制 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
  2. 1948年12月4日昭和23年中頭郡北谷村の一部が分離し、嘉手納村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、中頭郡嘉手納村の施政権が日本へ移った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
  4. 1976年1月1日昭和51年中頭郡嘉手納村が町制を施行し、嘉手納町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

嘉手納村→嘉手納町1889〜今

参考にした資料