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平群町へぐりちょう

平群町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の平群町

奈良県西部、生駒山地と矢田丘陵に挟まれた平群谷に広がる町です。竜田川が町の中央を北から南へ流れ、川沿いに集落や農地があります。丘陵では住宅地の開発が進み、大阪へ通勤する人々の暮らしを支えています。小菊やイチゴの栽培が盛んです。信貴山朝護孫子寺や鳴川千光寺をはじめ、古い寺社と多くの古墳が残り、山の自然と歴史が身近にあるまちです。

今の平群町の区域の人口は、2020年の国勢調査で18,009人です。今の区域で数えた1980年の16,854人とくらべると6.9%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は38.8%です。

18,009人人口(2020年)
+6.9%1980年からの増減
23.9km²面積(国土地理院)
754人/km²人口密度
38.8%65歳以上の割合
20,4971980199020052020
15歳未満 10.1%15〜64歳 51.1%65歳以上 38.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:小菊やイチゴなどの農業が盛んで、大阪の通勤圏として住宅地も発達しています。

特産品・名産

  • 小菊花の栽培が続く平群の代表的な産物
  • イチゴ古都華やあすかルビーなどを栽培
  • 芋焼酎「里の恵」平群の名を冠した芋焼酎

見どころ・祭り

  • 信貴山朝護孫子寺国宝の信貴山縁起絵巻を伝える寺
  • 鳴川千光寺役行者ゆかりの修験の寺
  • 長屋王墓宮内庁が長屋王の墓に治定した古墳

木樫花菊平群町の木・花

平群町のなりたち

平群町(へぐりちょう)は、奈良県西部地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに平群村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は生駒郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
24km²今の面積

「平群町」という名前

「平群」は、古代の大和の中心だった飛鳥や桜井から見て、北西の端に当たる「辺の国」に由来するとされています。古墳時代から奈良時代には、豪族の平群氏がこの地を本拠地にしました。1889年の町村制で生まれた村は、初め「明治村」と名乗りました。1896年に古くからの地名を使う「平群村」に改称し、1971年の町制施行で現在の平群町となりました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、竜田川の流れる平群谷と周りの山間の20村をまとめて、平群郡明治村が発足しました。西向・櫟原・椣原・上庄・梨本・吉新・三里・白石畑が加わりました。平等寺・下垣内・鳴川・福貴・福貴畑・久安寺もその区域です。信貴畑・椹原・越木塚・若井・西宮・椿井も一つの村にまとまりました。1896年(明治29年)9月1日に平群村へ改称しました。翌1897年には平群郡と添下郡の区域で生駒郡ができ、平群村も新しい郡に属しました。

生駒山地と矢田丘陵の間では、花や野菜、果樹を育てる農業が続いてきました。大阪の通勤圏に位置することから丘陵地の宅地造成が進み、人口が増加しました。1971年(昭和46年)2月1日、平群村は町制を施行して平群町となりました。1970年代には小学校の開校や公共施設の整備が進みました。1999年には平群バイパスが開通し、道の駅大和路へぐりの拠点となる「くまがしステーション」が開きました。今も町内には平群氏ゆかりの古墳や、信貴山朝護孫子寺、鳴川千光寺などがあり、山間の集落、農地、住宅地が隣り合うまちになっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年平群郡の西向村・櫟原村・椣原村・上庄村・梨本村・吉新村・三里村・白石畑村・平等寺村・下垣内村・鳴川村・福貴村・福貴畑村・久安寺村・信貴畑村・椹原村・越木塚村・若井村・西宮村・椿井村の区域で明治村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年9月1日明治29年平群郡明治村が改称し、平群村となった。種類:改称 出典:www.pref.nara.lg.jp
  3. 1897年4月1日明治30年平群郡と添下郡の区域で生駒郡が発足し、平群村は生駒郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1971年2月1日昭和46年生駒郡平群村が町制を施行し、平群町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

平群村→平群町1896〜今

参考にした資料