今の大磯町
神奈川県の中央南部、相模湾に面した町です。北側には高麗山や鷹取山などの丘陵が連なり、海岸と山が近い地形です。東海道の宿場町としての歴史をもち、近代には別荘地としても知られました。旧東海道の松並木や歴史的な邸宅が残り、大磯と国府の地域にそれぞれの歩みが伝わっています。町の鳥にはアオバトも指定され、歴史と海辺の自然の両方に触れられる町です。
今の大磯町の区域の人口は、2020年の国勢調査で31,634人です。今の区域で数えた1980年の29,931人とくらべると5.7%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.3%です。
主な産業:海辺や邸園の観光と、漁業や農業、商業が営まれています。
特産品・名産
- 西行饅頭歌人西行にちなむ大磯の銘菓
- 大磯の大玉柿町の特産品として扱われる果実
- しらす大磯の沿岸で水揚げされる魚
見どころ・祭り
- 県立大磯城山公園旧三井別邸と旧吉田茂邸の歴史を伝える
- 旧吉田茂邸吉田茂が暮らした邸園
- 鴫立庵大磯の歴史ある俳諧道場
木クロマツ、サザンカ花ハマヒルガオ鳥カモメ、アオバト大磯町の木・花・鳥
大磯町のなりたち
大磯町(おおいそまち)は、神奈川県湘南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。国府村・大磯町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大磯町になりました。
今の名前「大磯町」は、1920年にあった大磯町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の大磯町が約7km²だったのに対し、今の大磯町は約17km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は中郡に属していました。
「大磯町」という名前
大磯町は、明治の町村制で発足した大磯町の名を引き継いでいます。1954年(昭和29年)に国府町と合併した際にも、大磯町という名前が採用されました。「大磯」という地名そのものの由来ははっきりしていません。東海道の宿場として発展し、明治以後は別荘地としても知られました。国府地区の名は、かつて相模国の国府が置かれた歴史に結びついています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月、町村制の施行により、大磯宿・高麗村・東小磯村・西小磯村がまとまり、大磯町が発足しました。東海道の宿場を中心とする町に、周辺の集落が加わった形です。一方、現在の町の西側にあたる国府地区は、当時は別の自治体でした。相模国の国府が置かれた土地として、その歴史が地区の名前に伝わっています。
昭和の大合併で、1954年(昭和29年)12月1日に大磯町と国府町が合併し、新しい大磯町が生まれました。新しい大磯町は、旧大磯町の名前を受け継いで、二つの町が合わさってできました。宿場を中心とする東側と、国府の歴史をもつ西側が一つの町になった節目です。
町は相模湾の海岸と、高麗山・鷹取山などの丘陵に囲まれています。旧東海道の松並木や、別荘地としての歩みを伝える建物が、町の歴史を今に伝えます。町内には大磯と国府の地域名が残り、合併前の二つの町の成り立ちを知る手掛かりとなっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、淘綾郡大磯町・国府村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1896年4月1日明治29年大住郡・淘綾郡の区域に中郡が発足し、大磯町・国府村が中郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年中郡国府村が町制を施行し、国府町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1954年12月1日昭和29年中郡大磯町・国府町が合併し、改めて大磯町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。