今の二宮町
相模湾に面し、北側に大磯丘陵が広がる町です。海岸と丘陵の間に市街地があり。二宮駅は、かつて秦野方面からの物資を東海道線へつなぐ中継地でした。現在は住宅地としての性格ももち、海や里山が身近にある町です。吾妻山公園の早咲きの菜の花が知られ、丘の上から相模湾や富士山を望めます。川勾神社などには、地域の古い歴史が伝わっています。
今の二宮町の区域の人口は、2020年の国勢調査で27,564人です。今の区域で数えた1980年の27,221人とくらべると1.3%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は35.3%です。
主な産業:落花生やオリーブなどの農業と、商業や公園の観光が営まれています。
特産品・名産
- 落花生明治期から栽培される特産物
- 湘南オリーブ温暖な気候を生かして栽培
- みかん町の特産物として紹介される果実
見どころ・祭り
- 吾妻山公園早咲きの菜の花と相模湾の眺望
- 川勾神社相模国の二宮として伝わる神社
- 徳富蘇峰記念館評論家徳富蘇峰の資料を伝える施設
木ツバキ花カンナ鳥ヤマガラ二宮町の木・花・鳥
二宮町のなりたち
二宮町(にのみやまち)は、神奈川県湘南地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに吾妻村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は中郡に属していました。
「二宮町」という名前
二宮町の名は、1935年(昭和10年)に吾妻村が町制を施行した際、二宮駅の名前から採ったものです。東海道線の駅と秦野方面への軽便鉄道によって発展したことが、町名の選択にも表れています。それまでは、一色・中里・二宮・山西・川匂の5地区をまとめた自治体を吾妻村と呼んでいました。町制とともに村名を改め、現在の二宮町となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月、町村制の施行で一色村・中里村・二宮村・山西村・川匂村が合併し、吾妻村が発足しました。二宮駅の開設と、秦野と二宮を結ぶ馬車鉄道は、村の発展を支えました。馬車鉄道は蒸気機関の軽便鉄道に替わり、秦野方面から運ばれるタバコや木綿、落花生などを、二宮駅で東海道線へつなぎました。海沿いの村は、物資が行き交う中継地としての役割も担うようになりました。
1935年(昭和10年)11月3日、吾妻村は町制を施行し、駅名を採って二宮町となりました。ほかの町村との合併で生まれた町ではなく、吾妻村の区域と自治体を引き継いだ町制です。その一方で、村の発展を支えた湘南軌道は同じ年に全線で営業を休止し、1937年(昭和12年)に廃止されました。
その後は住宅地としての開発が進み、海岸と丘陵のある生活の町へと姿を変えました。吾妻山に咲く菜の花は、現在の町を代表する景観です。一色・中里・山西・川匂などの地名は、町村制の前から続く集落の歴史を伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、一色村・中里村・二宮村・山西村・川匂村が合併し、淘綾郡吾妻村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1896年4月1日明治29年大住郡・淘綾郡の区域に中郡が発足し、吾妻村が中郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1935年11月3日昭和10年中郡吾妻村が町制を施行するとともに改称し、二宮町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。