今の綾瀬市
神奈川県の中央部にあり、河岸段丘と平坦地に広がる市です。蓼川、比留川、目久尻川の三つの川が北から南へ流れています。八つの村をまとめて生まれた自治体で、古い村名が地域の呼び名に残ります。戦後には製造業が発達し、複数の工業団地が立地しました。吉岡の神崎遺跡には弥生時代の集落の歴史が伝わり、川沿いの地域と住宅地、工場のある町並みが共存しています。
今の綾瀬市の区域の人口は、2020年の国勢調査で83,913人です。今の区域で数えた1980年の65,078人とくらべると28.9%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.0%です。
主な産業:工業団地などに製造業が集まり、野菜や果樹の農業も営まれています。
特産品・名産
- トウモロコシ夏に収穫される綾瀬の特産野菜
- ブロッコリー秋から冬に収穫される特産野菜
- 高座豚のハム・ソーセージ市が紹介する食肉加工品
見どころ・祭り
- 神崎遺跡国の史跡に指定された弥生時代の遺跡
- 城山公園綾瀬の都市公園
- 光綾公園ローズガーデンのある公園
木ヤマモミジ花バラ鳥カワセミ綾瀬市の木・花・鳥
綾瀬市のなりたち
綾瀬市(あやせし)は、神奈川県県央地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに綾瀬村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は高座郡に属していました。
「綾瀬市」という名前
綾瀬市の名は、1889年(明治22年)に八つの村が合併して発足した綾瀬村から続いています。1945年に綾瀬町、1978年に綾瀬市となった際にも、この名前を引き継ぎました。村名を選んだ詳しい経緯や地名の語源ははっきりしていません。蓼川や早川などの旧村名は、現在も地域の名称として残っています。深谷や早川、吉岡などの地名は、合併前の村名につながっています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、高座郡の深谷村・落合村・蓼川村・大上村・小園村・寺尾村・早川村・吉岡村が合併し、綾瀬村となりました。現在の市につながる自治体は、この八村をまとめた村から出発しました。蓼川、比留川、目久尻川が流れる河岸段丘と平坦地に、それぞれの集落が広がっていました。
1923年の関東大震災では、新築して間もない綾瀬小学校が倒壊するなど、大きな被害がありました。村役場の記録には、被害からの復旧に向けた動きが残っています。地域の歴史には、町村の制度の変化だけでなく、災害を受けた暮らしの歩みも含まれています。
1945年4月1日、綾瀬村が町制を施行して綾瀬町となりました。当時の地図には、広大な海軍施設が記されています。敗戦後、厚木飛行場は連合国軍の進駐の舞台となりました。厚木という名前の施設ですが、綾瀬の歴史とも深く結びついています。
戦後の経済成長を経て、1978年11月1日に市制を施行し、綾瀬市となりました。昭和の大合併で別の町村を取り込んで市となったのではなく、綾瀬村から続く自治体が町、市へと移ったものです。現在も深谷・早川・吉岡などの地名が使われ、八村から成り立った地域の歴史を伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年深谷村・落合村・蓼川村・大上村・小園村・寺尾村・早川村・吉岡村が合併し、高座郡綾瀬村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1945年4月1日昭和20年綾瀬村が町制を施行し、綾瀬町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1978年11月1日昭和53年綾瀬町が市制を施行し、綾瀬市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。