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南九州市みなみきゅうしゅうし

1920年には4の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の南九州市になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の南九州市

今の南九州市の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,080人です。今の区域で数えた1980年の50,261人とくらべると34.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.1%です。

33,080人人口(2020年)
−34.2%1980年からの増減
357.78km²面積(国土地理院)
92人/km²人口密度
40.1%65歳以上の割合
50,2611980199020052020
15歳未満 11.1%15〜64歳 48.8%65歳以上 40.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

南九州市のなりたち

南九州市(みなみきゅうしゅうし)は、鹿児島県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。勝目村・川辺村・知覧村・頴娃村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の南九州市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1923年(大正12年)10月13日に川辺村が町になり、川辺町となりました(町制施行)。1932年(昭和7年)4月1日に知覧村が町になり、知覧町となりました(町制施行)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1950年(昭和25年)8月1日に頴娃村が町になり、頴娃町となりました(町制施行)。1956年(昭和31年)9月1日に勝目村が合わさって、川辺町が生まれました。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2007年(平成19年)12月1日に川辺町・知覧町・頴娃町が合わさって、南九州市が生まれました。

今の名前「南九州市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の頴娃村が約134km²だったのに対し、今の南九州市は約339km²と、およそ2.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は川辺郡・揖宿郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、川辺郡は2007年(平成19年)12月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧頴娃村の区域には頴娃駅(指宿枕崎線)があります。

41920年の町村の数
2回合併・編入の回数
358km²今の面積
2007年いちばん新しい合併

年表

  1. 1923年10月13日大正12年川辺村が町になり、川辺町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1932年4月1日昭和7年知覧村が町になり、知覧町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  3. 1950年8月1日昭和25年頴娃村が町になり、頴娃町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  4. 1956年9月1日昭和31年勝目村が合わさって、川辺町が生まれた出典:wiki
  5. 2007年12月1日平成19年川辺町・知覧町・頴娃町が合わさって、南九州市が生まれたe-Stat「頴娃町(46323)、知覧町(46344)、川辺町(46345)が合併し、南九州市(46223)を新設 川辺郡(46340)の廃止 揖宿郡(46320)の廃止」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南九州市2007〜今
川辺村→川辺町1889〜2007
勝目村1889〜1956
知覧村→知覧町1889〜2007
頴娃村→頴娃町1889〜2007同じ名前の駅:頴娃駅