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姶良市あいらし

1920年には5の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の姶良市になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の姶良市

今の姶良市の区域の人口は、2020年の国勢調査で76,348人です。今の区域で数えた1980年の62,992人とくらべると21.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は31.6%です。

76,348人人口(2020年)
+21.2%1980年からの増減
231.25km²面積(国土地理院)
330人/km²人口密度
31.6%65歳以上の割合
76,3481980199020052020
15歳未満 14.5%15〜64歳 54.0%65歳以上 31.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

姶良市のなりたち

姶良市(あいらし)は、鹿児島県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。山田村・帖佐村・重富村・蒲生村・加治木町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の姶良市になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1928年(昭和3年)11月1日に蒲生村が町になり、蒲生町となりました(町制施行)。1942年(昭和17年)4月1日に帖佐村が町になり、帖佐町となりました(町制施行)。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1955年(昭和30年)1月1日に山田村・帖佐町・重富村が合わさって、姶良町が生まれました。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2010年(平成22年)3月23日に蒲生町・加治木町が合わさって、姶良市が生まれました。2010年(平成22年)3月23日に姶良町が市になり、姶良市となりました(市制施行)。

今の名前「姶良市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の蒲生村が約76km²だったのに対し、今の姶良市は約220km²と、およそ2.9倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は姶良郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧帖佐村の区域には帖佐駅(日豊本線)があります。旧重富村の区域には重富駅(日豊本線)があります。旧加治木町の区域には加治木駅(日豊本線)があります。

51920年の町村の数
2回合併・編入の回数
231km²今の面積
2010年いちばん新しい合併

年表

  1. 1928年11月1日昭和3年蒲生村が町になり、蒲生町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1942年4月1日昭和17年帖佐村が町になり、帖佐町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  3. 1955年1月1日昭和30年山田村・帖佐町・重富村が合わさって、姶良町が生まれた出典:wiki
  4. 2010年3月23日平成22年蒲生町・加治木町が合わさって、姶良市が生まれたe-Stat「加治木町(46441)、姶良町(46442)、蒲生町(46443)が合併し、姶良市(46225)を新設」
  5. 2010年3月23日平成22年姶良町が市になり、姶良市となった(市制施行)e-Stat「加治木町(46441)、姶良町(46442)、蒲生町(46443)が合併し、姶良市(46225)を新設」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

姶良町→姶良市1955〜今
蒲生村→蒲生町1889〜2010
加治木町1889〜2010同じ名前の駅:加治木駅
山田村1889〜1955
帖佐村→帖佐町1889〜1955同じ名前の駅:帖佐駅
重富村1889〜1955同じ名前の駅:重富駅