今の多度津町
香川県の中部、瀬戸内海に面した町です。南は讃岐平野に続き、北の海には高見島・佐柳島などの塩飽諸島の島々があります。古くから港町として栄え、四国で最初に鉄道が通った地で、土讃線の起点となる多度津駅があります。臨海部には造船所などの工場やJR四国の車両工場が並び、少林寺拳法の総本山・総本部もあります。
今の多度津町の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,445人です。今の区域で数えた1980年の22,965人とくらべると2.3%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.7%です。
主な産業:臨海部の造船などの工業と、JR四国の車両工場などが立地しています。
特産品・名産
- 白方かき白方沖で養殖されるカキ
見どころ・祭り
- 道隆寺四国八十八箇所の第77番札所
- 天霧城跡国の史跡。中世の香川氏の山城
- 桃陵公園桜の名所。瀬戸内海を見渡せる
- 少林寺拳法総本山少林寺拳法の総本山と総本部
- 多度津町立資料館町の歴史を紹介する資料館
木サクラ花サクラ多度津町の木・花
多度津町のなりたち
多度津町(たどつちょう)は、香川県中讃の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。豊原村・白方村・四箇村・佐柳島村・高見島村・多度津町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の多度津町になりました。
今の名前「多度津町」は、1920年にあった多度津町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の多度津町が約4km²だったのに対し、今の多度津町は約24km²と、およそ6.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は仲多度郡に属していました。
「多度津町」という名前
多度津の名は、古代の多度郡の「津」、つまり港を表すとみられますが、由来をはっきり示す資料は見つかっていません。多度津は古くから港町として栄え、江戸時代後期には丸亀藩から分かれた多度津藩の陣屋が置かれました。1890年(明治23年)の町村制で、多度郡の多度津村と新町村の区域から多度津町が成立し、その名が今に続いています。
まちの成り立ち
1890年(明治23年)2月15日、町村制の施行で多度郡の多度津村と新町村の区域をあわせて、多度津町が成立しました。1899年(明治32年)4月1日には多度郡と那珂郡が合わさって仲多度郡となり、多度津町はその一員となっています。1942年(昭和17年)5月10日に豊原村を編入しました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)5月3日に多度津町・白方村・四箇村が合わさって、改めて多度津町が発足しました。1956年(昭和31年)9月30日には、塩飽諸島の佐柳島村と高見島村を編入し、今の町域になっています。町は古くから港を中心に栄え、1889年(明治22年)には讃岐鉄道の丸亀・琴平間が開業して、四国で初めての鉄道の駅ができました。鉄道と港の便を生かして西讃の交通の要所となり、今もJR四国の多度津工場があります。1974年(昭和49年)には臨海の土地造成が行われ、多くの企業が進出しました。少林寺拳法の総本山・総本部もあります。
年表
- 1890年2月15日明治23年町村制の施行により、多度郡の多度津村と新町村の区域で多度津町が発足し、周りに豊原村・白方村・四箇村、那珂郡に佐柳島村・高見島村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.tadotsu.kagawa.jp
- 1899年4月1日明治32年郡制の施行で多度郡と那珂郡(丸亀市を除く)が合わさって仲多度郡となり、多度津町は仲多度郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1942年5月10日昭和17年仲多度郡豊原村が多度津町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年5月3日昭和29年仲多度郡の多度津町・白方村・四箇村が合併し、改めて多度津町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年仲多度郡の佐柳島村と高見島村が多度津町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。