今の善通寺市
香川県の中讃にあり、県内の市で唯一海に面していない市です。南西に香色山や我拝師山など五つの山が並ぶ五岳山があり、金倉川と弘田川が流れ、各地にため池があります。空海が生まれた地とされる善通寺の門前町で、四国八十八箇所の札所が点在します。明治には陸軍の師団が置かれた軍都で、跡地に自衛隊の駐屯地があります。四角スイカでも知られます。
今の善通寺市の区域の人口は、2020年の国勢調査で31,631人です。今の区域で数えた1980年の38,080人とくらべると16.9%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.9%です。
主な産業:門前町としての観光と、四角スイカやもち麦などの農業が中心です。
特産品・名産
- 四角スイカ型に入れて育てる四角い観賞用のスイカ
- 讃岐もち麦「大師の紫宝」市で育てるもち麦
- キウイフルーツ市の特産の果物
見どころ・祭り
- 善通寺空海誕生の地とされる真言宗の総本山
- 五岳山市の南西に並ぶ五つの山
- 旧善通寺偕行社国の重要文化財の明治の洋風建築
- 天霧城跡中世の香川氏の居城。国の史跡
- 乃木館善通寺駐屯地の資料館
木クスノキ花キク善通寺市の木・花
善通寺市のなりたち
善通寺市(ぜんつうじし)は、香川県中讃の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。龍川村・筆岡村・与北村・吉原村・象郷村・善通寺町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の善通寺市になりました。
今の名前「善通寺市」は、1920年にあった善通寺町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の善通寺町が約19km²だったのに対し、今の善通寺市は約39km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は仲多度郡に属していました。
「善通寺市」という名前
善通寺の名は、市内にある寺の名に由来します。寺は空海が生まれた地に建てられ、名は空海の父の佐伯善通の名からとったと伝えられます。1901年(明治34年)に善通寺村・麻野村・吉田村が合わさって善通寺町となり、1954年(昭和29年)に周りの村と合わさって市になったときも、寺の名をそのまま市の名にしました。
まちの成り立ち
1890年(明治23年)2月15日の町村制で、多度郡に善通寺村・麻野村・吉田村・吉原村・筆岡村、那珂郡に与北村・竜川村などが発足しました。1899年(明治32年)には両郡が合わさって仲多度郡となります。明治時代に陸軍の第11師団が置かれると、町は軍都として大きくなり、1901年(明治34年)11月3日に善通寺村・麻野村・吉田村が合わさって善通寺町が生まれました。1954年(昭和29年)3月31日、善通寺町・与北村・吉原村・筆岡村・竜川村が合わさって市制を施行し、善通寺市が誕生しました。同じ年に市章が定められています。翌1955年(昭和30年)3月10日には、竜川地区の原田町などの一部が丸亀市へ移りました。1958年(昭和33年)3月31日には象郷村の下櫛梨の一部を編入し、この地域は櫛梨町となりました。市内には総本山善通寺をはじめ四国八十八箇所の札所が五つあり、師団の跡地には陸上自衛隊の駐屯地や学校、市役所などが置かれています。
年表
- 1890年2月15日明治23年町村制の施行により、多度郡に善通寺村・麻野村・吉田村・吉原村・筆岡村、那珂郡に与北村・竜川村・象郷村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年郡制の施行で多度郡と那珂郡(丸亀市を除く)が合わさって仲多度郡となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1901年11月3日明治34年仲多度郡の善通寺村・麻野村・吉田村が合併して善通寺町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年仲多度郡の善通寺町・与北村・吉原村・筆岡村・竜川村が合併し、市制を施行して善通寺市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.zentsuji.kagawa.jp
- 1955年3月10日昭和30年善通寺市の一部(竜川地区の原田町三分一・原田町下所と金蔵寺町の一部)が丸亀市に編入された。種類:一部編入 出典:www.city.zentsuji.kagawa.jp
- 1958年3月31日昭和33年仲多度郡象郷村の一部(大字下櫛梨の一部)が善通寺市に編入され、櫛梨町となった。残りは琴平町に編入された。種類:一部編入 出典:www.city.zentsuji.kagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。