今の三木町
香川県の東部にある町で、南北に長く、北部の丘陵、中央部の平野、南部の山あいからなります。白山は讃岐七富士の一つで、新川などが流れます。北と西と南西は高松市、東はさぬき市、南東は徳島県と接します。高松市のベッドタウンで、香川大学の医学部と農学部があります。いちごの産地として知られ、希少糖のまちづくりにも取り組んでいます。
今の三木町の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,878人です。今の区域で数えた1980年の24,989人とくらべると7.6%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.8%です。
主な産業:いちごなどの農業と商業が中心で、高松市のベッドタウンでもあります。
特産品・名産
- いちご「さぬきひめ」と「女峰」を育てる産地
- 希少糖自然界に少ない糖。町がまちづくりに生かす
見どころ・祭り
- 白山讃岐七富士の一つ
- 虹の滝雄滝と雌滝がある
- 旧木田郡役所1919年建築。町の文化財
- 太古の森メタセコイアを植えた公園
- 浄土寺四国三十六不動霊場の札所
木クロガネモチ花シャクヤク三木町の木・花
三木町のなりたち
三木町(みきちょう)は、香川県東讃の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。平井町・下高岡村・田中村・氷上村・奥鹿村・井戸村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の三木町になりました。
今の名前「三木町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の奥鹿村が約24km²だったのに対し、今の三木町は約74km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は木田郡に属していました。
「三木町」という名前
町名の「三木」は、律令の時代から1899年(明治32年)まであった三木郡の名を受け継いでいます。江戸時代の地誌『全讃史』には、井戸の高木にむろの大木、平木に柊の古木、朝倉に山椒の大樹があり、この三つの木から三木郡と呼ぶとあります。1954年(昭和29年)の合併のとき、新しい町の名を募り、応募総数330点の中から三木郡の名を選びました。
「広く世に親しまれた三木郡の名称を新町名として、当時よりの平和郷をさらに発展させる意図をもって命名した」── 三木町「三木町の誕生」
まちの成り立ち
1890年(明治23年)2月15日の町村制で、三木郡に平井村・下高岡村・井戸村・田中村・氷上村・奥鹿村が発足しました。1899年(明治32年)4月1日には三木郡と山田郡が合わさって木田郡となり、平井村に郡の役所が置かれました。平井村は1919年(大正8年)に町制を施行して平井町となり、奥鹿村は1941年(昭和16年)に神山村と名を改めています。1954年(昭和29年)10月1日、平井町・神山村・田中村・氷上村・下高岡村が合わさって三木町が発足しました。1956年(昭和31年)9月には井戸村を編入し、木田郡の南部の6町村がひとつの町にまとまりました。1959年(昭和34年)11月には、住民の要望により旧井戸村の一部が大川郡長尾町(今のさぬき市)に移っています。町章は1955年(昭和30年)に定められ、「三木」の字を図案にしたものです。高松市のベッドタウンとして住宅が増え、香川大学の医学部と農学部があります。いちごの産地として知られ、町は希少糖の研究と活用にも取り組んでいます。
年表
- 1890年2月15日明治23年町村制の施行により、三木郡に平井村・下高岡村・井戸村・田中村・氷上村・奥鹿村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年郡制の施行で三木郡と山田郡が合わさって木田郡となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1919年4月1日大正8年木田郡平井村が町制を施行し、平井町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年1月1日昭和16年木田郡奥鹿村が神山村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1952年1月1日昭和27年木田郡氷上村の一部(大字氷上の字東石塚)が田中村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年木田郡の平井町・神山村・田中村・氷上村・下高岡村が合併して三木町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.miki.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年木田郡井戸村が三木町に編入された。種類:編入 出典:www.town.miki.lg.jp
- 1959年11月1日昭和34年三木町の一部(大字井戸のうち鴨部川の東)が大川郡長尾町に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.miki.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。