今の岩泉町
岩手県の中央部から東部にあり、下閉伊郡に属する町です。北上山地の東部に位置し、町の大半は山とそれに囲まれた盆地と谷です。東の小本地区は太平洋に面します。小本川や安家川、大川などが流れ、まとまった平地は少なく、河川沿いに集落が点在します。町内の各地で水が湧き、龍泉洞の水は水道水にも使われています。農林漁業や畜産、酪農が主な産業です。
今の岩泉町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,726人です。今の区域で数えた1980年の18,236人とくらべると52.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.4%です。
主な産業:農林漁業、畜産、酪農が中心で、ヨーグルトやミネラルウォーターの加工も盛んです。
特産品・名産
- 岩泉ヨーグルト町の乳製品を代表する製品
- 龍泉洞の水ミネラルウォーターとして販売
- 日本短角種の肉牛肉牛の産地
見どころ・祭り
- 龍泉洞日本三大鍾乳洞に数えられる
- 安家洞日本最長の洞窟とされる
- 大川七滝渓流釣りや紅葉の名所
- 早坂高原町内の高原
木アカマツ花キリ鳥ヤマドリ岩泉町の木・花・鳥
岩泉町のなりたち
岩泉町(いわいずみちょう)は、岩手県沿岸の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。安家村・小本村・大川村・有芸村・小川村・岩泉村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の岩泉町になりました。
今の名前「岩泉町」は、1920年にあった岩泉村の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の岩泉村が約157km²だったのに対し、今の岩泉町は約1,041km²と、およそ6.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下閉伊郡に属していました。
「岩泉町」という名前
岩泉という地名の由来は、はっきりしていません。町内の各地で水が湧き、龍泉洞の水は名水として知られています。1889年(明治22年)の町村制で、岩泉村・尼額村・乙茂村・猿沢村・二升石村の五つの村がまとまって岩泉村となり、この村が1922年(大正11年)に町制を施行して岩泉町を名乗りました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、岩泉村・尼額村・乙茂村・猿沢村・二升石村がまとまり、北閉伊郡岩泉村が生まれました。岩泉村は、隣の安家村・有芸村と組合村をつくって役場の仕事を共同で行いました。1897年(明治30年)には郡の統合で下閉伊郡に属し、1922年(大正11年)8月1日に町制を施行して岩泉町になりました。
1938年(昭和13年)には、龍泉洞の「岩泉湧窟及びコウモリ」が国の天然記念物に指定されました。
昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月30日に岩泉町・安家村・有芸村・大川村・小本村が合併し、改めて岩泉町が発足しました。翌1957年(昭和32年)4月1日には小川村を編入し、今の町の形ができました。
1978年(昭和53年)には、茂師で日本で初めての恐竜化石「モシリュウ」が見つかっています。2011年(平成23年)の東日本大震災では海沿いの小本地区が津波の被害を受け、2016年(平成28年)には台風10号の大雨で小本川があふれ、町に大きな被害が出ました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、岩泉村・尼額村・乙茂村・猿沢村・二升石村が合併して北閉伊郡岩泉村が発足し、周辺には安家村・有芸村・小本村・小川村・大川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年北閉伊郡・中閉伊郡・東閉伊郡が統合されて下閉伊郡となり、岩泉村などは下閉伊郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1922年8月1日大正11年下閉伊郡岩泉村が町制を施行し、岩泉町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年下閉伊郡の岩泉町・安家村・有芸村・大川村・小本村が合併し、改めて岩泉町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年4月1日昭和32年下閉伊郡小川村が岩泉町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。