今の養父市
兵庫県北部の但馬地方にあり、東部を円山川が流れる市です。支流の八木川に沿って八鹿・関宮、大屋川に沿って養父・大屋の地域が広がっています。西部には兵庫県最高峰の氷ノ山やハチ高原があり、登山やスキーの場となっています。明延鉱山などの産業遺産が残る一方、但馬牛や米、朝倉山椒などの生産も続き、山地と川沿いの暮らしが町の特色をつくっています。
今の養父市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,129人です。今の区域で数えた1980年の33,979人とくらべると34.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.6%です。
主な産業:米・野菜・但馬牛などの農畜産業、磁石などの工業、高原を生かした観光業があります。
特産品・名産
- 蛇紋岩米養父地域で生産される米
- 朝倉山椒地域に伝わる実山椒
- 但馬牛但馬地域を代表する肉用牛
見どころ・祭り
- 氷ノ山兵庫県最高峰の山
- ハチ高原鉢伏山の斜面に広がる高原
- 明延鉱山スズなどを産出した鉱山の跡
- 天滝大屋地域の山間にある滝
木ブナ花ミズバショウ養父市の木・花
養父市のなりたち
養父市(やぶし)は、兵庫県但馬地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、13の町村がありました。宿南村・伊佐村・高柳村・口大屋村・西谷村・南谷村・関宮村・熊次村・広谷村・建屋村・八鹿町・養父市場村・大屋村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の養父市になりました。
今の名前「養父市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの13の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の関宮村が約67km²だったのに対し、今の養父市は約419km²と、およそ6.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は美方郡・養父郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、養父郡は2004年(平成16年)4月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧八鹿町の区域には八鹿駅(山陰本線)があります。
「養父市」という名前
「養父」は古くから使われてきた地名です。奈良時代の『但馬国正税帳』には養父郡の名があり、『播磨国風土記』では「夜夫郡」と書かれています。円山川沿いには養父市場・大薮・薮崎や養父神社があり、草木の茂る川辺の景観に由来するという説があります。2004年(平成16年)、養父郡の4町が合併して生まれた市にも、この名が受け継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、今の市域には養父郡の八鹿村・養父市場村・広谷村などと、七美郡の熊次村が置かれました。1896年に熊次村は新たな美方郡に属します。八鹿村は1913年、広谷村は1927年に町となり、1940年には養父市場村が町制と改称によって養父町になりました。
昭和の大合併では、1955年2月1日に八鹿町・高柳村・伊佐村と宿南村の一部が合併し、改めて八鹿町が発足しました。宿南村の赤崎・浅倉は、同じ日に城崎郡日高町へ移っています。同年3月31日には口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が大屋町をつくりました。1956年8月1日に関宮村と美方郡熊次村が関宮町をつくり、9月30日には広谷町・建屋村が明神町となります。翌年3月31日に明神町と養父町が合併して、養父町の名になりました。
2004年(平成16年)4月1日、八鹿町・養父町・大屋町・関宮町が新設合併して養父市が発足し、養父郡はなくなりました。円山川の舟運や但馬牛の取引で栄えた地域には、明延鉱山の歴史も残ります。現在は氷ノ山やハチ高原を生かした観光とともに、川沿いの集落で受け継がれてきた農業や暮らしが続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、養父郡に養父市場村・広谷村・建屋村・口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村・関宮村・高柳村・八鹿村・伊佐村・宿南村・糸井村・大蔵村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、七美郡に熊次村が発足した。種類:町村制 出典:www.sichouyouran.jp
- 1896年4月1日明治29年七美郡と二方郡の区域で美方郡が発足し、熊次村は美方郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.sichouyouran.jp
- 1913年1月1日大正2年養父郡八鹿村が町制を施行し、八鹿町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
- 1927年4月15日昭和2年養父郡広谷村が町制を施行し、広谷町となった。種類:町制施行 出典:www.sichouyouran.jp
- 1940年12月11日昭和15年養父郡養父市場村が町制を施行するとともに改称し、養父町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年養父郡宿南村の一部(赤崎・浅倉)が城崎郡日高町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年養父郡の八鹿町・高柳村・伊佐村と宿南村の残部が合併し、改めて八鹿町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
- 1955年3月31日昭和30年養父郡の口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が合併し、大屋町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
- 1955年3月31日昭和30年養父郡の糸井村・大蔵村が合併し、南但町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年8月1日昭和31年養父郡関宮村と美方郡熊次村が合併し、養父郡関宮町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
- 1956年9月30日昭和31年養父郡の広谷町・建屋村が合併し、明神町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
- 1957年3月31日昭和32年養父郡の明神町と養父町が合併し、養父町となった。種類:その他 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
- 1959年4月1日昭和34年朝来郡和田山町の一部(堀畑の一部を除く区域)が養父郡養父町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2004年4月1日平成16年養父郡の八鹿町・養父町・大屋町・関宮町が合併し、養父市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.yabu.hyogo.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.yabu.hyogo.jp/gyosei/shokai/3555.html
- www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/1/2122.html
- www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kikakusomu/hisho/3/1861.html
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%A4%8A%E7%88%B6%E9%83%A1_%28%E5%85%B5%E5%B
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