今の興部町
オホーツク海の沿岸にある町です。西部を興部川と藻興部川が流れ、河口付近は海岸に近い平地になっています。基幹産業は酪農で、おこっぺ牛乳などが知られます。林業や漁業も営まれ、ホタテ、サケ、マス、毛ガニなどが獲れます。町内には興部豊野竪穴住居跡があり、道の史跡に指定されています。町内には道の駅おこっぺがあります。
今の興部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,628人です。今の区域で数えた1980年の6,628人とくらべると45.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.3%です。
主な産業:酪農が基幹産業で、林業と漁業も営まれています。
特産品・名産
- 牛乳・チーズ町内の牧場や工房で作られる乳製品
- ホタテオホーツク海で獲れ、貝柱にも加工される
- 毛ガニオホーツク海で獲れるカニ
- サケオホーツク海で獲れ、筋子やイクラにもなる
見どころ・祭り
- 道の駅おこっぺアニュウ・ジョイパークのある道の駅
- ルゴーサエクスプレス道の駅にある宿泊もできる施設
- 興部豊野竪穴住居跡北海道指定の史跡
- 沙留岬オホーツク海に面した岬
木ナナカマド花ハマナス興部町の木・花
興部町のなりたち
興部町(おこっぺちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに興部村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は紋別郡に属していました。
「興部町」という名前
「興部」は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻が合流しているところ)が変わった名です。かつては町の西部を流れる興部川と藻興部川が一つになってオホーツク海に注いでいたことから、このように呼ばれていたとされています。1915年(大正4年)に二級町村制の興部村となり、1951年(昭和26年)に町制を施行して興部町になりました。
まちの成り立ち
興部は、宝永年間に松前藩の漁場として支配されました。1889年(明治22年)に沙留に初めて和人が住みつき、1898年(明治31年)には石川・高知・富山などの県から入植者が来て、本格的な開発が進みました。はじめは紋別や雄武の戸長役場の管轄でしたが、1909年(明治42年)に雄武から興部を、紋別から沙留と瑠橡を分けて、興部村外2村戸長役場が置かれました。1915年(大正4年)4月1日に二級町村制が施行されて興部村となりました。1921年(大正10年)に鉄道の名寄線が全線開通すると、農業・林業・漁業が大きく伸びました。1925年(大正14年)1月1日には、興部川の上流の地域が西興部村として分かれています。その後、商工業も次第に発展し、1951年(昭和26年)4月1日に町制を施行して興部町になりました。今は酪農と漁業が町の主な産業です。町内には道の駅おこっぺがあり、町内の牧場で作られる牛乳やチーズも知られています。
年表
- 1915年4月1日大正4年紋別郡の興部村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.town.okoppe.lg.jp
- 1925年1月1日大正14年興部村から西興部村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1951年4月1日昭和26年興部村が町制を施行し、興部町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。