今の西興部村
オホーツク総合振興局管内の北部、西紋地域にある村で、興部町の西に接する内陸にあります。面積の約9割を森林が占めます。基幹産業は酪農です。マツタケが自生し、マツタケ焼酎が造られています。建物の外壁が暖色になるよう景観が整えられています。森の美術館「木夢」や、道の駅の花夢、日本庭園の興楽園、鹿牧場があります。
今の西興部村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,053人です。今の区域で数えた1980年の1,609人とくらべると34.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.4%です。
主な産業:基幹産業は酪農です。マツタケや山菜、鹿肉の加工品もあります。
特産品・名産
- セトウシうどん村の生乳を練り込んだ乾麺
- 鹿肉缶詰村の特産物として紹介
- 山菜村内で加工される
見どころ・祭り
- 森の美術館「木夢」村内の美術館
- 鹿牧場1990年に開設された牧場
- 行者の滝毎年7月19日に行者の滝祭り
- 道の駅にしおこっぺ「花夢」フラワーパークを併設
木イチイ花エゾムラサキツツジ西興部村の木・花
西興部村のなりたち
西興部村(にしおこっぺむら)は、北海道オホーツク地方の村です。
1920年の時点で、この区域の町村は紋別郡に属していました。
「西興部村」という名前
「西興部」は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流する所の意)が転訛した「興部」の、西にあることから「西」の字を冠した名です。1925年(大正14年)1月1日に興部村から分かれて、二級町村制の西興部村が発足しました。
まちの成り立ち
西興部の地は、江戸時代には松前藩領のソウヤ場所とモンベツ場所に属していました。1900年(明治33年)7月に雄武村外3村戸長役場の管轄となり、1904年(明治37年)には長野県の小林四郎左衛門が上興部に来住しました。1906年(明治39年)に米田久三郎が上興部駅逓所を設置し、1908年(明治41年)には六興橋と上興部の2か所に教育所が置かれました。1909年(明治42年)に興部村外2村戸長役場の管轄となり、1925年(大正14年)1月1日に興部村から分村して二級町村制が施行され、西興部村が発足しました。1972年(昭和47年)10月20日に字名が改正されています。1990年(平成2年)に鹿牧場が開設され、1997年(平成9年)には森の美術館「木夢」が開設されました。村は1999年に景観に関する条例を、2001年にそれに基づく指針を定め、建物の外壁がオレンジ色や茶色の暖色になるよう誘導しています。
年表
- 1915年4月1日大正4年北海道二級町村制が施行され、西興部の地を含む興部村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1925年1月1日大正14年興部村から分かれて北海道二級町村制を施行し、西興部村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。