今の中標津町
根室振興局管内の標津郡にあり、管内で唯一の内陸の町です。南部は根釧台地の丘陵、北部は知床半島から連なる山岳地帯で、町域の約5割を山林が占めます。市街地は標津川がつくった河岸段丘にあります。平野部には格子状の防風林が配置され、独特の景観をつくっています。酪農が中心の町で、開陽台やミルクロードが知られます。
今の中標津町の区域の人口は、2020年の国勢調査で23,010人です。今の区域で数えた1980年の21,187人とくらべると8.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は26.8%です。
主な産業:酪農が中心で、牧草地のほか、ジャガイモ・テンサイなどの畑があります。
特産品・名産
- ゴーダチーズ町の乳製品の一つ
- なかしべつ牛乳酪農の町の牛乳
- 伯爵じゃがいも町で採れるジャガイモ
見どころ・祭り
- 開陽台標高270mの台地。防風林を見渡せる
- 根釧台地の格子状防風林北海道遺産に選ばれた景観
- ミルクロード牧場の丘を横切る直線の道
- モアン山の「牛」の文字山の中腹に描かれた文字
木シラカバ花エゾリンドウ中標津町の木・花
中標津町のなりたち
中標津町(なかしべつちょう)は、北海道根室地方の町です。
1920年の時点で、この区域の町村は標津郡に属していました。
「中標津町」という名前
「中標津」は、日本語の「中」と、アイヌ語の「シペッ」(大きな川)に当て字した「標津」を組み合わせた名で、標津川の中流域にあることに由来します。1946年(昭和21年)7月1日に標津村から分かれて中標津村が置かれ、1950年(昭和25年)1月1日に町制を施行して中標津町になりました。
まちの成り立ち
中標津には、縄文時代前期ごろから人が住んでいた遺跡が多く残ります。1810年(文化7年)には標津と斜里を結ぶ斜里山道が開通し、1885年(明治18年)に新斜里山道ができて旧山道は廃止されました。1901年(明治34年)に殖民区画が開放されると、移住者が増えました。1931年(昭和6年)と1932年(昭和7年)の大凶作を受けて、北海道庁が穀物中心の農業から畜産中心の農業への転換を図り、1937年(昭和12年)に標津線が開通すると交通の要衝として発展しました。当時の中標津は標津村に属していましたが、人口が増えると役場移転の活動が分村運動に発展し、1946年(昭和21年)7月1日に標津村から分かれて中標津村が置かれました。1950年(昭和25年)1月1日に町制を施行して中標津町になり、1955年(昭和30年)4月1日に別海村と境界を変更しています。2006年(平成18年)の字名改正で、字中標津は廃止されました。
年表
- 1946年7月1日昭和21年標津村から分かれて中標津村が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1950年1月1日昭和25年中標津村が町制を施行し、中標津町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1955年4月1日昭和30年別海村との境界を変更し、大字平糸村の一部を編入した。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。