今の昭和村
群馬県北部、赤城山の北西麓に広がる村です。利根川と片品川の流れに沿う河岸段丘から高原へ農地が続き、こんにゃくいもやレタス、ほうれん草などが栽培されます。りんごや花き、酪農・畜産も営まれる農村です。道の駅あぐりーむ昭和には地元の農産物が並び、昭和の湯や山麓の公園もあります。昭和インターチェンジ周辺には工業団地があり、農業と商工業が村を支えています。
今の昭和村の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,953人です。今の区域で数えた1980年の8,263人とくらべると15.9%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.8%です。
主な産業:こんにゃくいも・高原野菜・果樹などの農業と畜産、工業団地の製造業が営まれています。
特産品・名産
- こんにゃくいも
- レタス
- ほうれん草
見どころ・祭り
- 道の駅あぐりーむ昭和農産物の直売と交流の拠点
- 昭和の湯村の日帰り温泉施設
- ふれあいグリーンパーク村の公園
- 雲昌寺の大ケヤキ村の歴史を伝える大木
木さくら花つつじ鳥きじ昭和村の木・花・鳥
昭和村のなりたち
昭和村(しょうわむら)は、群馬県利根沼田地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。糸之瀬村・久呂保村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の昭和村になりました。
今の名前「昭和村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の糸之瀬村が約32km²だったのに対し、今の昭和村は約65km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は利根郡に属していました。
「昭和村」という名前
「昭和村」の名は、1958年(昭和33年)11月1日に久呂保村と糸之瀬村が新設合併して発足した際に使われるようになりました。二つの旧村は赤城山北西麓と利根川・片品川沿いに広がっていました。新しい村はそれぞれの旧村名を自治体名としては引き継がず、昭和村となっています。1961年には利根村の生越地区が加わり、現在につながる村域が整いました。
まちの成り立ち
昭和村は赤城山の北西麓に広がり、利根川と片品川がつくる河岸段丘と高原の農地をもつ村です。中棚遺跡などが残る地域には古くから人々が暮らし、川沿いの村々と山麓の農村が営まれてきました。宝篋印塔や武尊神社の舞殿、永井箱根神社の太々神楽などには、集落の信仰と暮らしが受け継がれています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の村域には北勢多郡久呂保村と糸之瀬村が発足しました。生越地区は赤城根村に含まれました。1896年(明治29年)4月1日、北勢多郡などの統合で両村は利根郡に属することになります。1958年(昭和33年)11月1日に久呂保村と糸之瀬村が新設合併し、昭和村が誕生しました。1961年(昭和36年)8月1日には、旧赤城根村から利根村になっていた地域のうち大字生越が昭和村へ移りました。
農業では冷涼な山麓の気候を生かし、こんにゃくいもやレタス、ほうれん草などを栽培しています。りんごや花き、酪農・畜産も営まれ、首都圏へ多くの農産物を送っています。昭和インターチェンジの周辺には工業団地が整い、2011年に開業した道の駅あぐりーむ昭和では農産物の販売や交流が行われています。河岸段丘と高原の景色の中で、農業を軸に商工業が加わった村へ発展しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北勢多郡久呂保村・糸之瀬村と赤城根村が発足した。赤城根村の大字生越は後に現在の昭和村へ加わった。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1896年4月1日明治29年北勢多郡・利根郡・吾妻郡久賀村の統合により、久呂保村・糸之瀬村・赤城根村は利根郡に属することとなった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1956年9月30日昭和31年利根郡赤城根村と東村が新設合併し、利根村が発足した。このうち大字生越が後に昭和村へ移った。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1958年11月1日昭和33年利根郡久呂保村と糸之瀬村が新設合併し、昭和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1961年8月1日昭和36年利根郡利根村の大字生越が昭和村へ移った。種類:一部編入 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。