今の多治見市
岐阜県南東部、東濃地方にある市で、南は愛知県の春日井市・瀬戸市と境を接します。市街地を庄内川(土岐川)が流れ、周囲には最高峰の高根山をはじめとする山や丘陵が連なります。7世紀ごろから続く美濃焼の産地で、とりわけ陶磁器を扱う商社が集まる流通の拠点として発展し、市内には窯元や美術館、ギャラリーが点在しています。名古屋への通勤圏でもあり、2007年に当時の国内最高気温を記録したことから、夏の暑さでも全国に名を知られます。
今の多治見市の区域の人口は、2020年の国勢調査で106,732人です。今の区域で数えた1975年の82,174人とくらべると29.9%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.4%です。
主な産業:美濃焼の生産と流通が中心で、セラミックデバイスの研究・生産も行われます。
特産品・名産
- 美濃焼市之倉・高田・滝呂などが産地
見どころ・祭り
- 永保寺庭園飛騨・美濃紅葉三十三選
- 多治見市モザイクタイルミュージアムモザイクタイルをテーマにした博物館
- 本町オリベストリート陶器店が並ぶ商店街。4月に陶器祭り
- 虎渓公園飛騨・美濃さくら三十三選
- 多治見修道院11月にワインフェスタを開催
木シデコブシ花キキョウ多治見市の木・花
多治見市のなりたち
多治見市(たじみし)は、岐阜県東濃地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。豊岡町・小泉村・池田村・市之倉村・姫治村・笠原村・多治見町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の多治見市になりました。
今の名前「多治見市」は、1920年にあった多治見町の名前を受け継いでいます。ほかの6の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の多治見町が約12km²だったのに対し、今の多治見市は約90km²と、およそ7.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は可児郡・土岐郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、土岐郡は2006年(平成18年)1月23日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧小泉村の区域には小泉駅(太多線)があります。
「多治見市」という名前
市名は、1940年(昭和15年)8月1日に市制を施行した土岐郡多治見町の名をそのまま受け継いでいます。多治見町は1889年(明治22年)の町村制で生まれた町で、土岐川沿いに広がる美濃焼の産地の中心として発展してきました。「多治見」という地名そのものの語源については、確かな典拠を確認できていません。
まちの成り立ち
多治見は、土岐川の流れに沿って窯業が栄えた町です。1889年(明治22年)の町村制で土岐郡に多治見町と笠原村が、隣の可児郡に豊岡村・池田村・小泉村・姫治村が生まれました。1896年には市之倉地区が多治見町から分かれて市之倉村となっています。
多治見の広がりの特徴は、郡の境を越えて可児郡側の町村を取り込んできたことです。1934年(昭和9年)に可児郡豊岡町と土岐郡泉町の一部(久尻の一部)を編入し、1940年8月1日に市制を施行して多治見市となりました。1944年には可児郡の小泉村・池田村を、1951年3月には市之倉村を編入しています。
同じ1951年4月には笠原町も編入されましたが、編入をめぐって地元が賛成と反対に分かれ、翌1952年4月に滝呂地区を除く区域が分かれて笠原村として独立しました。町としての人口要件を満たさなかったため村として出発し、同年8月に町制を施行して笠原町に戻っています。1960年には可児郡姫治村が南北に分けられ、南部が多治見市に、北部が可児町に編入されました。
平成に入り、多治見市・土岐市・瑞浪市・笠原町の3市1町で合併が検討されましたが、2004年1月の住民投票で笠原町以外の3市では反対が上回り、計画は白紙になりました。その後、2006年(平成18年)1月23日に笠原町が多治見市に編入され、これによって土岐郡は消滅しました。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、土岐郡に多治見町・笠原村、可児郡に豊岡村(長瀬・小名田・中之郷の3村)・池田村(池田町屋・廿原・諏訪の3村)・小泉村(大原・根本・野中・北の4村)・姫治村(北小木・大針・大藪・下切など6村)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年2月14日明治29年多治見町から市之倉地区が分かれ、土岐郡市之倉村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1901年6月10日明治34年可児郡豊岡村が町制を施行し、豊岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1923年10月10日大正12年土岐郡笠原村が町制を施行し、笠原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1934年8月1日昭和9年可児郡豊岡町が土岐郡多治見町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1934年8月1日昭和9年土岐郡泉町の一部(久尻の一部)が多治見町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1940年8月1日昭和15年多治見町が市制を施行し、多治見市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1944年2月11日昭和19年可児郡小泉村と池田村が多治見市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年3月5日昭和26年土岐郡市之倉村が多治見市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年土岐郡笠原町が多治見市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年旧笠原町の区域のうち滝呂地区を除く部分が多治見市から分かれ、土岐郡笠原村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1952年8月1日昭和27年笠原村が町制を施行し、笠原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年可児郡姫治村が分けられ、旧大藪・大針・北小木村の区域と下切の南部が多治見市に、下切の北部などが可児町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 2006年1月23日平成18年土岐郡笠原町が多治見市に編入され、土岐郡は消滅した。種類:編入 出典:www.e-stat.go.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。