合戦絵巻 ─ ポエニ戦争 勢力図

ザマの戦い

前202年10月 / ザマ

10月19日

2人の名将

1粒=約100人

紀元前202年10月、北アフリカのザマ(いまのチュニジア)で、ローマの将軍スキピオが、カルタゴの名将ハンニバルを破った。スキピオは隊列の間に通り道を開けて戦象の突撃をかわし、最後は追撃から戻った騎兵でカルタゴ軍の背後を突いた。第二次ポエニ戦争はこの戦いで決着し、ローマは西地中海の覇者となった。

上の観戦プレイヤーでは、ローマ軍(スキピオ)とマシニッサ—とカルタゴ軍(ハンニバル)約83の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

ローマ軍(スキピオ)とマシニッサ
—
カルタゴ軍(ハンニバル)
約83
いつ
10月19日 → 結果

なぜ戦ったのか

前218年にイタリアに攻めこんだハンニバルは、トラシメヌスやカンナエでローマ軍を次々に破った。しかしローマは降伏せず、ハンニバルは15年にわたってイタリアにとどまりながら、ローマを屈服させることができなかった。

ローマの若い将軍スキピオは、カルタゴの拠点だったスペインを奪ったあと、前204年、北アフリカに上陸してカルタゴ本国を直接おびやかした。ヌミディアの王子マシニッサも、ローマの側についた。

カルタゴはハンニバルをイタリアから呼び戻した。前202年秋、ハンニバルとスキピオは、ザマで向き合った。

戦いの経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

110月19日

2人の名将

戦いの前日、ハンニバルとスキピオは両軍の間で会見したと伝えられる。和平はならなかった。ハンニバルは戦象80頭を最前列に置き、歩兵を3列に並べた。スキピオは、隊と隊の間に通り道を開けて並べた。

2戦いの始まり

戦象の突撃

戦象が突進すると、ローマ軍はラッパを一斉に吹き鳴らした。驚いた象の一部は向きを変えて味方の騎兵に突っこみ、残りはローマ兵が開けた通り道を抜けて後ろへ走り去った。

3戦いの中ごろ

騎兵の勝利

混乱に乗じて、ラエリウスとマシニッサの騎兵が両翼のカルタゴ騎兵を追い散らし、戦場から遠くへ追っていった。

4戦いの中ごろ

歩兵の激突

歩兵どうしの戦いは激しかった。第1列と第2列を破ったローマ軍の前に、ハンニバルが温存していたイタリア帰りの古参兵が立ちはだかり、勝負は互角になった。

5決着

騎兵が戻る

そのとき、追撃から戻ったラエリウスとマシニッサの騎兵が、カルタゴ軍の背後を突いた。古参兵は囲まれ、ほとんどが倒れた。

6結果

ザマの戦いの結果

ハンニバルはわずかな兵と逃れ、カルタゴに講和を勧めた。第二次ポエニ戦争は終わり、ローマは西地中海の覇者となった。ハンニバルは後にスキピオと再会し「最も偉大な将軍は」と問われて「アレクサンドロス、ピュロス、そして私」と答えたという逸話が残る。

勝敗を分けたもの

戦象をかわす

ハンニバルは戦象80頭を最前列に置いた。スキピオは、隊と隊の間に通り道を開けて並べ、象が来るとラッパを一斉に鳴らした。驚いた象の一部は味方に突っこみ、残りは通り道を抜けて後ろへ走り去った。

騎兵の優位

かつてハンニバルを勝たせたヌミディアの騎兵は、今度はマシニッサとともにローマの側にいた。ローマ側の騎兵は、両翼のカルタゴ騎兵を追い散らした。

戻ってきた騎兵

歩兵どうしの戦いは互角になった。そこへ追撃から戻ったローマ側の騎兵が、カルタゴ軍の背後を突いた。かつてハンニバルがカンナエでローマを破った包囲を、今度はスキピオがやってのけた。

主な人物とその後

スキピオローマ軍(スキピオ)とマシニッサ

ローマの将軍。この勝利で「アフリカヌス(アフリカを征した者)」の称号を得た。のちに政敵に訴えられ、ローマを離れて晩年を過ごした。

ハンニバルカルタゴ軍(ハンニバル)

カルタゴの将軍。敗れたのちカルタゴの政治を立て直したが、ローマに追われて国外へ逃れ、前183年ごろ、毒をあおって亡くなった。

マシニッサローマ軍(スキピオ)とマシニッサ

ヌミディアの王。騎兵を率いてローマの勝利を助け、のちにヌミディアの王として長く北アフリカに力をふるった。

戦いのあと

ハンニバルはわずかな兵と逃れ、カルタゴに講和を勧めた。カルタゴは海外の領土をすべて失い、軍船を手放し、多額の賠償金を払うことになった。ローマの許しなしに戦争をすることも禁じられた。

ローマは西地中海の覇者となった。それでもカルタゴの復興を恐れたローマは、前149年に第三次ポエニ戦争を起こし、前146年、カルタゴを完全に滅ぼした。

諸説と論点

2人の名将の会見

戦いの前日に、ハンニバルとスキピオが両軍の間で会見したという話は、ポリュビオスやリウィウスが伝えている。話の内容は、のちの歴史家が書いたものとみられる。

「最も偉大な将軍」

のちにハンニバルとスキピオが再会し、「最も偉大な将軍は誰か」と問われたハンニバルが「アレクサンドロス、ピュロス、そして私」と答えた、という逸話がある。「もしザマで勝っていたら」と問われて「アレクサンドロスより上だ」と答えたという続きもあるが、作り話と考えられている。

関連年表

前218年ハンニバルがイタリアに攻めこむ
前216年カンナエの戦い
前206年スキピオがスペインを奪う
前204年スキピオが北アフリカに上陸
前202年10月ザマの戦い
前201年第二次ポエニ戦争が終わる
前146年カルタゴが滅ぶ

両軍の陣容

ローマ軍(スキピオ)とマシニッサ—

部隊兵力その後
ローマの歩兵(間を開けた隊列)総大将
ラエリウス(ローマ騎兵)
マシニッサ(ヌミディア騎兵)

カルタゴ軍(ハンニバル)約83

部隊兵力その後
戦象80頭敗走
傭兵(第1列)敗走
カルタゴ市民兵(第2列)敗走
イタリアから連れ帰った古参兵総大将第3列戦死・壊滅
カルタゴ騎兵敗走
西ヌミディア騎兵敗走

決め手

騎兵が戻る

そのとき、追撃から戻ったラエリウスとマシニッサの騎兵が、カルタゴ軍の背後を突いた。古参兵は囲まれ、ほとんどが倒れた。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この戦いは「ポエニ戦争 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:ポリュビオス『歴史』、リウィウス『ローマ建国以来の歴史』、長谷川博隆『ハンニバル』(講談社学術文庫)