18月20日〜23日
南北からの侵攻
ロシアは、フランスを助けるため準備が整わないうちに東プロイセンに攻め込んだ。北東からレンネンカンプの第1軍、南からサムソノフの第2軍が進み、ドイツ第8軍を挟み撃ちにするはずだった。北東のグムビンネンで敗れたドイツ軍司令官は退却を考え、解任された。
合戦絵巻 ─ 第一次世界大戦 勢力図
8月20日〜23日
1914年8月26日から30日にかけて、ドイツの東プロイセン南部で、ヒンデンブルクとルーデンドルフの率いるドイツ第8軍が、攻めこんできたロシア第2軍を両側から包囲して壊滅させた。ロシア軍は約9万人が捕虜となり、司令官のサムソノフは自ら命を絶った。第一次世界大戦の東部戦線で、最も鮮やかな包囲戦として知られる。
上の観戦プレイヤーでは、ドイツ第8軍(ヒンデンブルク、ルーデンドルフ)約15万とロシア第2軍(サムソノフ)・第1軍(レンネンカンプ)約35万、あわせて約50万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。
ドイツの作戦は、まずフランスを倒し、そのあと東のロシアに向かうものだった。そのため東プロイセンには、第8軍が残されているだけだった。
フランスから一日も早い攻撃を頼まれたロシアは、準備が整わないまま、8月なかばに東プロイセンへ攻めこんだ。北東からはレンネンカンプの第1軍、南からはサムソノフの第2軍が進み、ドイツ第8軍を挟み撃ちにする計画だった。
8月20日、北東のグムビンネンでレンネンカンプに敗れたドイツ第8軍の司令官は退却を口にし、解任された。代わって引退していたヒンデンブルクが呼び戻され、参謀長にルーデンドルフがついた。
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18月20日〜23日
ロシアは、フランスを助けるため準備が整わないうちに東プロイセンに攻め込んだ。北東からレンネンカンプの第1軍、南からサムソノフの第2軍が進み、ドイツ第8軍を挟み撃ちにするはずだった。北東のグムビンネンで敗れたドイツ軍司令官は退却を考え、解任された。
28月23日〜25日
新しく着任したヒンデンブルクとルーデンドルフは、参謀ホフマン中佐の案をもとに、動きの遅いレンネンカンプの前には騎兵だけを残し、主力をサムソノフに向けることにした。フランソワの第1軍団は鉄道で南西へ運ばれた。ロシア軍は無線を暗号なしで送っていたため、ドイツ軍は相手の行動を知ることができた。
38月26日〜27日
フランソワの第1軍団が重砲の支援でウスダウを攻め、ロシア軍の左翼を南へ追い払った。北東ではマッケンゼンの第17軍団がビショフスブルクで右翼の第6軍団を破った。中央のロシア軍団は、両側が崩れたことに気づかないまま北へ進み続けた。
48月28日〜29日
フランソワはナイデンブルクを占領してロシア軍の退路を断ち、東からはマッケンゼンが回り込んだ。森と湖の多い土地で、ロシアの3個軍団が袋の中に閉じ込められた。
58月30日
包囲されたロシア兵は次々と降伏し、約9万人が捕虜となった。サムソノフは森の中で自ら命を絶った。ヒンデンブルクは、1410年にドイツ騎士団がポーランド・リトアニアに敗れた土地の名をとって、この戦いを「タンネンベルクの戦い」と名づけた。
6結果
ドイツ軍の死傷者は約1万3000人、ロシア軍は死傷約5万人・捕虜約9万人とされる(諸説あり)。9月にはマズーリ湖沼の戦いでレンネンカンプの第1軍も押し返された。ヒンデンブルクとルーデンドルフは国民的英雄となり、のちにドイツの戦争指導を握った。一方、ロシアの早い侵攻は、ドイツに西部戦線から2個軍団を東へ回させ、マルヌの戦いに影響したともいわれる。
ロシア軍は暗号の準備が足りず、無線で作戦の指示をそのまま送っていた。ドイツ軍はそれを聞き取り、二つのロシア軍がたがいに助け合う気配がないことを知った。
ドイツ軍は、動きの遅いレンネンカンプの前には騎兵だけを残し、主力を鉄道で南へ運んでサムソノフに向けた。国内の鉄道網を生かして、兵をすばやく集めることができた。
ドイツ軍は、ロシア第2軍の両端の軍団を先に破った。中央のロシア軍は両側が崩れたことに気づかないまま前へ進み続け、森と湖の多い土地で袋の中に閉じこめられた。
引退から呼び戻されたドイツ第8軍司令官。この勝利で国民的英雄となり、のちに参謀総長、戦後はドイツの大統領となった。1933年、ヒトラーを首相に任命した。
第8軍参謀長。ヒンデンブルクとともに、のちにドイツの戦争指導を実質的に握った。
第1軍団長。命令に従わず独自に動くこともあったが、ロシア軍の退路を断ち、包囲を完成させた。
ロシア第2軍司令官。軍が包囲されて壊滅すると、森の中で自ら命を絶った。
9月には、マズーリ湖沼の戦いでレンネンカンプの第1軍も東プロイセンから押し出された。ドイツ領への脅威は取り除かれたが、東部戦線は広大で、ロシアを倒すまでにはさらに3年以上かかった。
一方で、ロシアの早い侵攻は、ドイツに西部戦線から2個軍団を東へ回させた。この兵が西にいなかったことが、同じころのマルヌの戦いでドイツが敗れた一因になった、ともいわれる。
実際の戦場はタンネンベルク村から少し離れていた。ヒンデンブルクは、1410年にドイツ騎士団がポーランド・リトアニア連合軍に敗れた戦いの地の名をとり、この勝利をその雪辱として名づけた。
包囲の作戦は、ヒンデンブルクとルーデンドルフが着任する前に、参謀のホフマン中佐が考えていたともいわれる。英雄とされた2人と、実際に作戦を立てた参謀たちのどちらの功績が大きいかは、議論が分かれる。
| 1914年8月17日 | ロシア軍が東プロイセンに侵攻 |
|---|---|
| 1914年8月20日 | グムビンネンの戦い |
| 1914年8月23日 | ヒンデンブルクとルーデンドルフが着任 |
| 1914年8月26日〜30日 | タンネンベルクの戦い |
| 1914年9月 | マズーリ湖沼の戦い |
| 1917年 | ロシア革命 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 第20軍団(ショルツ) | 約4万 | |
| 第17軍団(マッケンゼン) | 約4万 | |
| 第1予備軍団 | 約3万 | |
| 第1軍団(フランソワ) | 約4万 | |
| 重砲 | 重砲 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 第13軍団 | 約4万 | 降伏 |
| 第15軍団 | 約4万 | 降伏 |
| 第1軍団(左翼) | 約3万 | 損害 |
| 第6軍団(右翼) | 約3万 | 損害 |
| サムソノフの司令部 | 降伏 | |
| ロシア第1軍(レンネンカンプ) | 約20万 | |
| 騎兵 | 約1万 |
決め手
フランソワはナイデンブルクを占領してロシア軍の退路を断ち、東からはマッケンゼンが回り込んだ。森と湖の多い土地で、ロシアの3個軍団が袋の中に閉じ込められた。
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「第一次世界大戦 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:バーバラ・タックマン『八月の砲声』(ちくま学芸文庫)、ジョン・キーガン『第一次世界大戦』(中公文庫)