合戦絵巻 ─ 第一次世界大戦 勢力図

ユトランド沖海戦

1916年5月31日〜6月1日 / 北海 デンマーク・ユトランド半島の沖

5月31日 14時半

巡洋戦艦どうしの遭遇

1粒=約100人

1916年5月31日から6月1日にかけて、デンマークのユトランド半島の沖の北海で、イギリス大艦隊とドイツ大洋艦隊がぶつかった。弩級戦艦どうしが戦った、第一次世界大戦で最大の海戦である。沈んだ艦も戦死者もイギリスの方が多かったが、ドイツ艦隊はその後、二度とイギリス艦隊に決戦を挑まなかった。

上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの7つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

ドイツ大洋艦隊(シェーア)
船87艘
イギリス大艦隊(ジェリコー)
船37艘
いつ
5月31日 14時半 → 結果

なぜ戦ったのか

20世紀のはじめ、イギリスとドイツは、巨大な戦艦を次々に造る建艦競争をくり広げた。1906年にイギリスが進水させた「ドレッドノート」は、それまでの戦艦を一気に古くするほどの性能で、以後の大型戦艦は「弩級戦艦」と呼ばれた。

戦争が始まると、数で勝るイギリス大艦隊は、北海の出口をふさいでドイツを海上封鎖した。数で劣るドイツ大洋艦隊は、イギリス艦隊の一部をおびき出して少しずつ叩き、数の差を縮めようとした。

1916年5月、ドイツ大洋艦隊の司令長官シェーアは、巡洋戦艦部隊を囮に出して、イギリス艦隊の一部を誘い出そうとした。ところがイギリスは、ドイツの無線の暗号を解読して出撃を知り、大艦隊のすべてを海へ出していた。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

15月31日 14時半

巡洋戦艦どうしの遭遇

イギリスは暗号の解読でドイツ艦隊の出撃を知り、大艦隊を出した。偵察部隊どうしが、中立国の汽船を調べに向かったことから遭遇した。ビーティーの巡洋戦艦6隻とヒッパーの巡洋戦艦5隻が南へ向きを変え、並んで撃ち合う「南への走行」が始まった。

216時〜16時半

南への走行と2隻の爆沈

ドイツ艦の砲撃は正確で、インディファティガブルとクイーン・メリーが弾薬庫の爆発で一瞬のうちに沈み、2000人以上が亡くなった。ビーティーは「今日の我々のいまいましい艦は、どこかおかしいようだ」と言ったと伝えられる。薄い装甲と、発射の速さを優先した弾薬の扱いが原因とされる。

316時40分

北への走行

南からドイツの主力、大洋艦隊が現れた。ビーティーは北へ引き返し、ドイツ艦隊全体を、北から来るジェリコーの大艦隊のほうへ誘い込んだ。後ろを守った第5戦艦戦隊の高速戦艦は、多くの砲弾を受けながら耐えた。

418時15分〜

主力どうしの決戦

ジェリコーは24隻の戦艦を一列に並べ、ドイツ艦隊の進路の前をふさぐ「T字」の形をつくった。巡洋戦艦インヴィンシブルが爆沈したが、ドイツの先頭の艦には砲弾が集中した。

518時半〜19時半

シェーアの一斉回頭と水雷艇の突撃

不利を悟ったシェーアは、全艦を同時に反転させる「一斉回頭」で煙の中に姿を消した。いったん向き直って再び砲火を浴びると、巡洋戦艦に「敵に突っ込め」と命じ、水雷艇に魚雷攻撃をさせて、その間に逃れた。ジェリコーは魚雷を避けるため艦隊を遠ざけた。

6夜〜6月1日

夜戦とドイツ艦隊の帰還

ドイツ艦隊は夜のうちにイギリス艦隊の後ろをすり抜け、ホーンズ礁を通って母港へ向かった。途中、駆逐艦との夜戦で旧式戦艦ポンメルンが雷撃を受けて爆沈し、傷ついたリュッツォウも自沈した。

7結果

ユトランド沖海戦の結果

イギリスは巡洋戦艦3隻を含む14隻・約6000人、ドイツは11隻・約2500人を失った。ドイツは勝利を宣伝したが、北海の支配は変わらず、ある新聞は「ドイツ艦隊は看守に襲いかかったが、再び牢屋に戻った」と書いた。ドイツ海軍はその後、潜水艦での戦いに力を移し、それがアメリカ参戦につながった。

勝敗を分けたもの

巡洋戦艦の弱さ

速さを重んじて装甲を薄くしたイギリスの巡洋戦艦は、ドイツ艦の正確な砲撃を受けて、弾薬庫の爆発で次々に沈んだ。発射を急ぐあまり、弾薬の扱いがずさんだったことも原因とされる。

誘いこみ

ドイツの主力を見つけたビーティーは北へ引き返し、ドイツ艦隊全体を、北から来るジェリコーの大艦隊のほうへ誘いこんだ。ドイツ艦隊は気づかないうちに、イギリスの主力の前に出てしまった。

一斉回頭と夜の脱出

イギリス艦隊に進路をふさがれたシェーアは、全艦を同時に反転させて煙の中に逃れた。夜のうちにイギリス艦隊の後ろをすり抜けて母港へ戻り、艦隊の全滅をまぬがれた。

主な武将とその後

ジェリコーイギリス大艦隊(ジェリコー)

イギリス大艦隊の司令長官。「午後のうちに戦争に負けうる唯一の男」といわれたほど責任は重く、慎重な指揮をとった。決定的な勝利を逃したとして批判も受けた。

ビーティーイギリス大艦隊(ジェリコー)

イギリス巡洋戦艦部隊の司令官。2隻を爆沈されながらも、ドイツ艦隊を大艦隊の前に誘いこんだ。のちに大艦隊の司令長官となる。

シェーアドイツ大洋艦隊(シェーア)

ドイツ大洋艦隊の司令長官。大艦隊の前に出てしまう危機を、一斉回頭と水雷艇の突撃で切り抜けた。その後は潜水艦による戦いを強く主張した。

ヒッパードイツ大洋艦隊(シェーア)

ドイツ偵察部隊(巡洋戦艦部隊)の司令官。巧みな砲撃でイギリスの巡洋戦艦2隻を沈めた。

合戦のあと

イギリスは巡洋戦艦3隻を含む14隻と約6000人、ドイツは11隻と約2500人を失った。数の上ではドイツの勝ちに見え、ドイツは勝利を宣伝した。しかし北海はイギリス艦隊が押さえたままで、海上封鎖も続いた。

ドイツ海軍は、水上艦で決戦するのをあきらめ、潜水艦(Uボート)で商船を沈める戦いに力を注いだ。1917年の無制限潜水艦作戦は、アメリカが参戦するきっかけの一つとなった。

諸説と論点

どちらが勝ったのか

損害の大きさではドイツの勝ち、戦いのあとの北海の支配ではイギリスの勝ちとされ、評価は今も分かれる。あるアメリカの新聞は「ドイツ艦隊は看守に襲いかかったが、再び牢屋に戻った」と書いた。

ジェリコーは慎重すぎたのか

魚雷を避けるために艦隊を遠ざけたジェリコーの判断は、ドイツ艦隊を逃したとして批判された。一方、イギリスにとっては艦隊を失わないことが何より大事で、正しい判断だったとする見方も強い。

関連年表

1906年イギリスの戦艦「ドレッドノート」が進水
1914年8月第一次世界大戦が始まる。イギリスが海上封鎖
1916年5月31日〜6月1日ユトランド沖海戦
1917年2月ドイツが無制限潜水艦作戦を始める
1917年4月アメリカが参戦
1918年11月キール軍港の水兵の反乱。ドイツが降伏

両軍の陣容

ドイツ大洋艦隊(シェーア)船87艘

部隊兵力その後
偵察部隊(ヒッパー)4隻
リュッツォウ1隻沈没
大洋艦隊(シェーア)総大将8隻
戦艦8隻
ポンメルン(旧式戦艦)6隻沈没
水雷艇隊約30隻
駆逐艦隊約30隻
ツェッペリン(悪天候で見えず)飛行船

イギリス大艦隊(ジェリコー)船37艘

部隊兵力その後
巡洋戦艦部隊(ビーティー)4隻
インディファティガブル1隻沈没
クイーン・メリー1隻沈没
第5戦艦戦隊4隻
大艦隊(ジェリコー)総大将8隻
戦艦8隻
戦艦8隻
インヴィンシブル3隻沈没

決め手

主力どうしの決戦

ジェリコーは24隻の戦艦を一列に並べ、ドイツ艦隊の進路の前をふさぐ「T字」の形をつくった。巡洋戦艦インヴィンシブルが爆沈したが、ドイツの先頭の艦には砲弾が集中した。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この合戦は「第一次世界大戦 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:ジョン・キーガン『第一次世界大戦』(中公文庫)