16月6日 0:15〜
空挺部隊の降下
真夜中、英空挺部隊のグライダーがオルヌ川の橋(ペガサス橋)の目の前に着陸し、数分で奪った。西ではアメリカの2個空挺師団がC-47輸送機から降下したが、対空砲火と雲で広い範囲に散らばった。それでも各地で集まった兵士が、サント・メール・エグリーズを最初に解放した。
合戦絵巻 ─ ヨーロッパ戦線 勢力図
6月6日 0:15〜
1944年6月6日(Dデー)、アメリカ・イギリス・カナダなどの連合軍が、フランス北西部のノルマンディーの5つの海岸に上陸した。夜のうちに空挺部隊が降下し、夜明けとともに5000隻を超える艦船が姿を現した。この日だけで約15万6000人が上陸し、西ヨーロッパ解放の足がかりが築かれた。史上最大の上陸作戦である。
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1940年にフランスが降伏してから、西ヨーロッパの大陸はドイツに支配されていた。ドイツは、イギリス海峡から大西洋に沿って、トーチカや障害物を並べた「大西洋の壁」を築いていた。
東ではソ連がドイツと激しく戦い、西側の連合国に「第二戦線」を早く開くよう求めていた。1943年、アメリカ・イギリスは、1944年にフランスへ上陸することを決めた。
総司令官にはアメリカのアイゼンハワーがついた。連合軍は、上陸地点はカレーだとドイツに思いこませるため、にせの軍隊や無線を使った大がかりなだまし作戦を進めた。
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16月6日 0:15〜
真夜中、英空挺部隊のグライダーがオルヌ川の橋(ペガサス橋)の目の前に着陸し、数分で奪った。西ではアメリカの2個空挺師団がC-47輸送機から降下したが、対空砲火と雲で広い範囲に散らばった。それでも各地で集まった兵士が、サント・メール・エグリーズを最初に解放した。
25:30〜
夜が明けると、沖合に並んだ5000隻を超える艦船が姿を現した。戦艦・巡洋艦が海岸の陣地に砲撃を加え、爆撃機が上空を通過した。真珠湾で座礁したネバダもこの艦隊にいた。ただしオマハ海岸では雲のため爆弾の多くが内陸に落ち、陣地はほぼ無傷で残った。
36:30〜
ユタ海岸では潮に流されて予定より南に上陸したが、そこは守りが薄く、損害は少なかった。一方オマハ海岸では、崖の上の陣地から機関銃と砲火を浴び、戦車の多くも海に沈んだ。兵士たちは何時間も浜に釘づけになったが、少しずつ崖をよじ登って陣地を奪った。レンジャー部隊はポワント・デュ・オックの断崖を登った。
47:25〜
潮の関係で1時間ほど遅れて、英軍がゴールドとソード、カナダ軍がジュノーに上陸した。地雷を処理する戦車や、橋をかける戦車など特殊な戦車が障害物を切り開いた。ジュノーでは激しい抵抗を受けたが、昼までに各海岸の陣地を制圧した。
5午後
夕方、カーンのドイツ第21装甲師団が、ジュノーとソードのすき間を北へ突き進み、一部は海岸に達した。しかし孤立を恐れて引き返した。ドイツの装甲予備軍の多くは、連合軍の本当の上陸地はカレーだと信じ込まされ、ヒトラーの許可が出ずにすぐには動けなかった。
66月6日 日没
この日だけで約15万6000人が上陸した。目標だったカーンやバイユーには届かなかったが、5つの海岸すべてに足場を築いた。連合軍の死傷者は約1万人、そのうち戦死者は約4400人とされる。
7結果
連合軍は人工港「マルベリー」を浮かべて兵と物資を送り込み続けた。6月末にシェルブール、7月にカーンを攻略し、7月25日のコブラ作戦で戦線を突破。8月25日にパリが解放された。東からはソ連軍のバグラチオン作戦が迫り、ドイツは東西から挟み撃ちにされることになった。
ドイツは、連合軍が海峡の幅が最も狭いカレーに上陸すると信じこまされていた。ノルマンディー上陸のあとも、それは陽動だと考え、多くの部隊をカレーの近くにとどめた。
連合軍は、空挺部隊の降下、艦砲射撃、爆撃と、空と海から圧倒的な力を集めた。ドイツ空軍は、ほとんど姿を見せることができなかった。
オマハ海岸では、雲のため爆弾の多くが内陸に落ち、崖の上のドイツ軍の陣地はほぼ無傷で残った。上陸した兵は機関銃と砲火を浴び、何時間も浜に釘づけになったが、少しずつ崖をよじ登って陣地を奪った。
連合国遠征軍の最高司令官。天候が悪いなかで上陸を決断した。戦後、アメリカの大統領となる。
上陸部隊の地上軍を指揮したイギリスの将軍。北アフリカのエル・アラメインの戦いで名を上げていた。
「砂漠の狐」と呼ばれたドイツの将軍。大西洋の壁の守りを固めたが、上陸の日は妻の誕生日のためドイツに帰っていた。
この日の連合軍の死傷者は約1万人、そのうち戦死者は約4400人とされる。連合軍は人工港「マルベリー」を浮かべて兵と物資を送りこみ続け、7月にカーンを攻め落とし、7月25日のコブラ作戦で戦線を突破した。
8月25日、パリが解放された。東からはソ連軍が迫り、ドイツは東西から挟み撃ちにされた。1945年4月30日、ヒトラーはベルリンで自殺し、5月8日、ドイツは降伏した。
アイゼンハワーは、上陸が失敗した場合に備えて、責任はすべて自分にあるという声明文を前もって書いていた。天候や潮、だまし作戦など、多くの条件がそろってはじめて成功した作戦だった。
1962年の映画『史上最大の作戦』で、この上陸作戦は広く知られるようになった。のちの映画『プライベート・ライアン』のオマハ海岸の場面も、上陸の激しさを伝えるものとして知られる。
| 1940年6月 | フランスがドイツに降伏 |
|---|---|
| 1943年2月 | スターリングラードでドイツ軍が降伏 |
| 1944年6月6日 | ノルマンディー上陸作戦(Dデー) |
| 1944年7月25日 | コブラ作戦。連合軍が戦線を突破 |
| 1944年8月25日 | パリが解放される |
| 1945年5月8日 | ドイツが降伏 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 戦艦テキサス・ネバダ | 2隻 | |
| 戦艦 | 1隻 | |
| 駆逐艦隊 | 1隻 | |
| ユタ | 数百隻 | |
| オマハ | 数百隻 | 損害 |
| C-47 輸送機 | 約800機 | |
| 米第82・第101空挺師団 | 約5,000 | |
| 空挺部隊 | 約4,000 | |
| 空挺部隊 | 約4,000 | |
| 爆撃機 | 約1,000機 | |
| 米第1・第29歩兵師団 | 約34,000 | |
| 米第4歩兵師団 | 約23,000 | |
| レンジャー部隊 | 約500 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 戦艦ウォースパイト | 1隻 | |
| 巡洋艦 | 1隻 | |
| 駆逐艦隊 | 1隻 | |
| ゴールド | 数百隻 | |
| ジュノー(カナダ軍) | 数百隻 | |
| ソード | 数百隻 | |
| 英空挺部隊の輸送機・グライダー | 約400機 | |
| 英第6空挺師団(ペガサス橋) | 約7,000 | |
| 英第50師団 | 約25,000 | |
| カナダ第3師団 | 約21,000 | |
| 英第3師団 | 約29,000 | |
| 戦車部隊 | 戦車 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 沈没 | ||
| 沈没 | ||
| 沈没 | ||
| 沈没 | ||
| ポワント・デュ・オック | 砲台 | 沈没 |
| 第352歩兵師団 | 約12,000 | |
| 第21装甲師団 | 約16,000 |
決め手
ユタ海岸では潮に流されて予定より南に上陸したが、そこは守りが薄く、損害は少なかった。一方オマハ海岸では、崖の上の陣地から機関銃と砲火を浴び、戦車の多くも海に沈んだ。兵士たちは何時間も浜に釘づけになったが、少しずつ崖をよじ登って陣地を奪った。レンジャー部隊はポワント・デュ・オックの断崖を登った。
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「ヨーロッパ戦線 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:アントニー・ビーヴァー『ノルマンディー上陸作戦1944』(白水社)