合戦絵巻 ─ ヨーロッパ戦線 勢力図

ビスマルク追撃戦

1941年5月18日〜27日 / 北大西洋

5月21日〜22日

ベルゲンからの出撃

1粒=約100人

1941年5月、大西洋で輸送船団を襲うために出撃したドイツの新鋭戦艦ビスマルクを、イギリス海軍が総力を挙げて追った。ビスマルクはデンマーク海峡でイギリスの巡洋戦艦フッドを沈めたが、空母から飛び立った旧式の複葉雷撃機の魚雷で舵を壊され、5月27日、英戦艦部隊に囲まれて沈んだ。

上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの7つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

ドイツ海軍(ライン演習作戦)
船2艘
イギリス本国艦隊・H部隊
約16・船9艘
いつ
5月21日〜22日 → 結果

なぜ戦ったのか

イギリスは、食料や武器の多くを海の向こうのアメリカやカナダから運んでいた。ドイツは、大西洋の輸送船団を潜水艦(Uボート)や軍艦で襲い、イギリスを干上がらせようとした(大西洋の戦い)。

1941年5月、完成したばかりの戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンが、輸送船団を襲う「ライン演習作戦」のため出撃した。ビスマルクは当時ヨーロッパで最大級の戦艦だった。

イギリスの偵察機は、ノルウェーのベルゲンに立ち寄ったビスマルクを見つけた。イギリス本国艦隊はスカパ・フローから出撃した。

戦いの経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

15月21日〜22日

ベルゲンからの出撃

ビスマルクとプリンツ・オイゲンは、大西洋で英国の輸送船団を襲う「ライン演習作戦」のため出撃し、ノルウェーのベルゲンに立ち寄った。英軍の偵察機がこれを発見し、本国艦隊はスカパ・フローから出撃した。

25月23日

デンマーク海峡で発見

アイスランドとグリーンランドの氷の間のデンマーク海峡で、英重巡サフォークとノーフォークがビスマルクを発見し、レーダーで追跡を続けた。巡洋戦艦フッドと新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが迎撃に向かった。

35月24日 5:52〜

フッド轟沈

砲撃戦が始まって約8分、ビスマルクの砲弾がフッドの弾薬庫に達し、「英国海軍の誇り」と呼ばれたフッドは大爆発を起こして3分ほどで沈んだ。乗員約1400人のうち生存者は3人だけだった。プリンス・オブ・ウェールズも損傷して退いたが、ビスマルクも燃料タンクに被弾して油が漏れ出した。

45月24日夜〜25日

追跡を振り切る

ビスマルクはプリンツ・オイゲンを切り離し、修理のためフランスのブレストをめざした。英巡洋艦は夜の間に接触を失い、ビスマルクの行方はわからなくなった。英国海軍は大西洋中から艦船を集めて捜索した。

55月26日

ソードフィッシュの雷撃

午前、カタリナ飛行艇がブレストまで約1100kmのビスマルクを再発見した。夕方、ジブラルタルから来た空母アーク・ロイヤルの複葉雷撃機ソードフィッシュが、荒天の中を攻撃した。1本の魚雷が艦尾に命中して舵が動かなくなり、ビスマルクは円を描くようにしか進めなくなった。

65月27日 8:47〜10:40

ビスマルクの最期

翌朝、英戦艦キング・ジョージ5世とロドネーが砲撃を始め、ビスマルクは1時間余りで炎に包まれて動けなくなった。最後に重巡ドーセットシャーが魚雷を放ち、ビスマルクは10時40分ごろ沈んだ(乗員が自沈させたともいわれる)。

7結果

ビスマルク追撃戦の結果

ビスマルクの乗員約2200人のうち、救助されたのは約110人だった。英国はフッドの約1400人を失った。これ以後、ドイツ海軍の大型水上艦が大西洋で通商破壊に出ることはほとんどなくなり、Uボート(潜水艦)による戦いが中心になった。航空機の雷撃が戦艦の運命を決めたこの戦いは、半年後のマレー沖海戦とも重なる。

勝敗を分けたもの

フッドの轟沈

デンマーク海峡での砲撃戦で、ビスマルクの砲弾がフッドの弾薬庫に達し、「英国海軍の誇り」と呼ばれたフッドは数分で沈んだ。乗員約1400人のうち生存者は3人だけだった。一方、ビスマルクも燃料タンクに被弾し、油が漏れ出した。

複葉機の一撃

空母アーク・ロイヤルから飛び立った旧式の複葉雷撃機ソードフィッシュの魚雷が、ビスマルクの艦尾に命中して舵が動かなくなった。ビスマルクはまっすぐ進めず、追ってくる英戦艦から逃げられなくなった。

総力を挙げた追跡

フッドを沈められたイギリス海軍は、大西洋中から戦艦や空母を集めて追跡した。一度は行方を見失ったが、飛行艇が再び見つけ、包囲の網をしぼっていった。

主な人物とその後

リュッチェンスドイツ海軍(ライン演習作戦)

ドイツ艦隊の司令官として、ビスマルクに乗って作戦を指揮した。艦とともに沈んだ。

トーヴィーイギリス本国艦隊・H部隊

イギリス本国艦隊の司令長官。戦艦キング・ジョージ5世に乗ってビスマルクを追い、最後の砲撃戦を指揮した。

戦いのあと

ビスマルクの乗員約2200人のうち、救助されたのは約110人だった。イギリスはフッドの約1400人を失った。

これ以後、ドイツ海軍の大型の軍艦が大西洋で輸送船を襲うことはほとんどなくなり、Uボートによる戦いが中心になった。航空機の魚雷が戦艦の運命を決めたこの戦いは、半年後の日本海軍によるマレー沖海戦とも重なっている。

諸説と論点

撃沈か、自沈か

ビスマルクは英艦隊の砲撃と魚雷で沈んだとされてきたが、生き残った乗員は、自分たちで艦を沈めたと証言した。1989年に海底で見つかった船体の調査でも、どちらが決め手だったかは意見が分かれている。

関連年表

1939年9月第二次世界大戦が始まる
1941年5月18日ビスマルクとプリンツ・オイゲンが出撃
1941年5月24日デンマーク海峡の戦い。フッドが沈む
1941年5月26日ソードフィッシュの雷撃で舵が壊れる
1941年5月27日ビスマルクが沈む
1941年12月マレー沖海戦

両軍の戦力

ドイツ海軍(ライン演習作戦)船2艘

部隊兵力その後
戦艦ビスマルク1隻沈没
重巡プリンツ・オイゲン1隻

イギリス本国艦隊・H部隊約16・船9艘

部隊兵力その後
キング・ジョージ5世1隻
ロドネー1隻
巡洋戦艦フッド1隻
プリンス・オブ・ウェールズ1隻損害
重巡サフォーク・ノーフォーク2隻
巡洋艦1隻
空母アーク・ロイヤル(H部隊)1隻
ソードフィッシュ雷撃機15機
カタリナ飛行艇1機
重巡ドーセットシャー1隻

決め手

ソードフィッシュの雷撃

午前、カタリナ飛行艇がブレストまで約1100kmのビスマルクを再発見した。夕方、ジブラルタルから来た空母アーク・ロイヤルの複葉雷撃機ソードフィッシュが、荒天の中を攻撃した。1本の魚雷が艦尾に命中して舵が動かなくなり、ビスマルクは円を描くようにしか進めなくなった。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「ヨーロッパ戦線 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:チャーチル『第二次世界大戦』(河出文庫)