15月24日
ヒトラーの停止命令
英仏海峡に達したドイツ装甲部隊は、ダンケルクまであと約15kmのアー運河で、ヒトラーの命令によって3日間停止した。装甲部隊を温存したかったことや、空軍だけで撃滅できるというゲーリングの主張があったとされる。この間に英仏軍は海岸に防衛線を築いた。
合戦絵巻 ─ ヨーロッパ戦線 勢力図
5月24日
1940年5月24日から6月4日にかけて、フランス北部の港町ダンケルクの海岸に追いつめられたイギリス・フランスの兵約34万人が、海を渡ってイギリスへ逃れた。駆逐艦や客船に加えて、漁船やヨットなど民間の「小さな船」までが海峡を往復して兵士を運んだ。「ダンケルクの奇跡」と呼ばれる撤退作戦である。
上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの7つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。
1939年9月、ドイツがポーランドに攻めこみ、イギリスとフランスはドイツに宣戦した。第二次世界大戦の始まりである。しかし西部では、しばらく大きな戦いのない時期が続いた(まやかし戦争)。
1940年5月10日、ドイツ軍はオランダ・ベルギー・フランスに一斉に攻めこんだ。主力の装甲部隊は、通れないと思われていたアルデンヌの森を抜けて、英仏軍の背後へ回りこみ、5月20日には英仏海峡に達した。
ベルギーに進んでいたイギリス派遣軍とフランス軍は、南の本隊から切り離され、海岸のダンケルクのまわりに追いつめられた。
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15月24日
英仏海峡に達したドイツ装甲部隊は、ダンケルクまであと約15kmのアー運河で、ヒトラーの命令によって3日間停止した。装甲部隊を温存したかったことや、空軍だけで撃滅できるというゲーリングの主張があったとされる。この間に英仏軍は海岸に防衛線を築いた。
25月26日 夜
イギリスは兵士の撤退作戦(ダイナモ作戦)を始めた。当初、救出できるのは4万5000人ほどと考えられていた。駆逐艦や客船は、ダンケルク港の長い防波堤に横づけして兵士を乗せた。
35月27日〜28日
停止命令が解かれ、ドイツ軍は東西から包囲網を締めつけた。5月28日にはベルギー軍が降伏し、東側に大きな穴があいた。ドイツ空軍の爆撃で港の施設や石油タンクが炎上した。
45月29日〜31日
浅い海岸に大型船は近づけないため、漁船・遊覧船・ヨットなど、民間の小型船が次々に海峡を渡った。小型船は浜の兵士を沖の駆逐艦に運び、そのままイギリスまで往復したものも多かった。
56月1日
晴れた日には急降下爆撃機が船団を襲い、6月1日だけで駆逐艦4隻を含む多くの船が沈んだ。英空軍の戦闘機も海峡の上空で戦ったが、浜の兵士からは見えにくく、「空軍は何をしている」と不満の声もあった。
66月2日〜4日
英国派遣軍の撤退はほぼ終わり、最後の数日は後衛を務めたフランス兵の救出が続いた。6月4日、ドイツ軍がダンケルクに入り、残っていたフランス兵約4万人が捕虜になった。
7結果
約34万人(うちフランス兵など約12万人)がイギリスに逃れた。一方で、戦車・大砲・車両のほとんどは海岸に残され、200隻を超える船が沈んだ。チャーチル首相は「撤退によって戦争に勝つことはできない」と戒めつつ、「我々は海岸で戦う、決して降伏しない」と演説した。救われた兵士たちは、のちの反攻の中核となった。
ダンケルクまであと15kmほどに迫ったドイツの装甲部隊は、ヒトラーの命令で3日間止まった。装甲部隊を温存したかったことや、空軍だけで撃滅できるというゲーリングの主張があったとされる。この間に英仏軍は海岸の守りを固めた。
浅い海岸には大型船が近づけなかった。そこで漁船・遊覧船・ヨットなど、民間の小型船が次々に海峡を渡り、浜の兵士を沖の駆逐艦へ運んだり、そのままイギリスまで運んだりした。
撤退のあいだ、フランス軍などの後衛が包囲網を守り続けた。最後の数日はフランス兵の救出が続いたが、約4万人は間に合わず捕虜となった。
5月10日に首相となったばかりだった。撤退のあと、「撤退によって戦争に勝つことはできない」と戒めつつ、「我々は海岸で戦う、決して降伏しない」と演説して国民を励ました。
ドーバーで撤退作戦(ダイナモ作戦)を指揮したイギリス海軍の提督。のちにノルマンディー上陸作戦の海軍部隊も指揮した。
ドイツ装甲部隊の指揮官で、戦車を集めて素早く進む「電撃戦」の立役者。停止命令に強く不満を持った。
約34万人(うちフランス兵など約12万人)がイギリスへ逃れた。一方で、戦車・大砲・車両のほとんどは海岸に残され、200隻を超える船が沈んだ。救われた兵士たちは、のちの反攻の中核となった。
フランスは6月にパリを占領され、6月22日、ドイツと休戦した。イギリスはただ一国でドイツと向き合うことになり、夏からはバトル・オブ・ブリテンが始まる。
停止命令の理由は、戦車の損耗を心配した、湿地帯で戦車を使いたくなかった、空軍に手柄を立てさせたかった、イギリスとの講和を望んでいた、など多くの説がある。この3日間が撤退の成功に大きく関わったことは確かとされる。
| 1939年9月 | 第二次世界大戦が始まる |
|---|---|
| 1940年5月10日 | ドイツが西方へ攻めこむ。チャーチルが首相に |
| 1940年5月20日 | ドイツ軍が英仏海峡に達する |
| 1940年5月26日〜6月4日 | ダンケルクの撤退(ダイナモ作戦) |
| 1940年6月14日 | パリが占領される |
| 1940年6月22日 | フランスがドイツと休戦 |
| 1940年7月〜 | バトル・オブ・ブリテン |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 装甲部隊(グデーリアン) | 約2万 | |
| 装甲部隊 | 約2万 | |
| ドイツ第18軍 | 約10万 | |
| ドイツ第6軍 | 約10万 | |
| Ju87 急降下爆撃機 | 約100機 | |
| He111 爆撃機 | 約100機 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 英国派遣軍 | 約20万 | |
| フランス軍(後衛) | 約4万 | 沈没 |
| ダンケルク | 炎上 | |
| 駆逐艦 | 約13隻 | |
| 駆逐艦隊 | 約13隻 | 炎上 |
| 駆逐艦隊 | 約13隻 | 沈没 |
| 客船・輸送船 | 約40隻 | |
| 民間の小型船 | 約250隻 | |
| 約250隻 | ||
| 約250隻 | ||
| スピットファイア | 約60機 |
決め手
浅い海岸に大型船は近づけないため、漁船・遊覧船・ヨットなど、民間の小型船が次々に海峡を渡った。小型船は浜の兵士を沖の駆逐艦に運び、そのままイギリスまで往復したものも多かった。
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「ヨーロッパ戦線 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:チャーチル『第二次世界大戦』(河出文庫)