合戦絵巻 ─ ヨーロッパ戦線 勢力図

バトル・オブ・ブリテン

1940年7月〜10月 / イギリス南東部とイギリス海峡の上空

7月10日〜

海峡の戦い

1粒=約100人

1940年7月から10月にかけて、イギリス南東部とイギリス海峡の上空で、イギリス空軍とドイツ空軍が戦った。ドイツはイギリス上陸の前に空を制しようとしたが、イギリス空軍はレーダーの網と戦闘機でこれを防いだ。史上初めて、空の戦いだけで国の運命が決まった戦いといわれる。

上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの7つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

ドイツ空軍
約730
イギリス空軍 戦闘機軍団
約270・船40艘
いつ
7月10日〜 → 結果

なぜ戦ったのか

1940年6月、フランスはドイツに降伏した。ヨーロッパでドイツと戦い続ける国は、イギリスだけになった。

ヒトラーはイギリスに講和を呼びかけたが、チャーチル首相は応じなかった。ドイツはイギリス本土への上陸作戦(アシカ作戦)を計画した。海峡を船で渡るには、まず空からイギリス空軍を一掃しておく必要があった。

イギリスは、海岸に沿ってレーダー基地(チェーン・ホーム)を並べ、敵機の接近をいち早く知って、各地の飛行場の戦闘機に出撃を命じる仕組みを整えていた。

戦いの経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

17月10日〜

海峡の戦い

フランスを降伏させたドイツは、イギリス上陸(アシカ作戦)の準備として、まず英仏海峡を通る船団を空から攻撃した。英空軍はレーダーで敵機の接近を知り、戦闘機を効率よく送り出した。

28月13日

「鷲の日」── 総攻撃の始まり

ドイツ空軍は「鷲の日」と名づけた総攻撃を始め、飛行場やレーダー基地を狙った。海岸に並んだレーダー「チェーン・ホーム」が編隊を早くからとらえ、司令部は地図の上で敵味方の位置を追いながら、各飛行場の戦闘機に出撃を命じた。

38月18日

最も厳しい日

この日は両軍とも最も多くの機体を失った。ケンリーやビギン・ヒルの飛行場が大きな被害を受けた。動きの遅い急降下爆撃機Ju87は英戦闘機の格好の的となり、以後この戦いから外された。

48月24日〜9月6日

戦闘機基地への攻撃

ドイツ空軍はロンドン周辺の戦闘機基地に攻撃を集中した。英空軍は飛行場と操縦士を次々に失い、限界に近づいていた。この時期、戦死した操縦士の補充は追いつかなかった。

59月7日

ロンドンへの攻撃目標の転換

英空軍のベルリン爆撃に怒ったヒトラーは、攻撃目標をロンドンに切り替えた。約350機の爆撃機がロンドンの港湾地区を焼き、夜間の爆撃(ブリッツ)が始まった。市民の犠牲は大きかったが、戦闘機基地は立ち直る時間を得た。

69月15日

バトル・オブ・ブリテン・デー

ドイツ空軍は昼間の大空襲をかけたが、南東の各飛行場の戦闘機に加え、北のダックスフォードから飛来した大編隊「ビッグ・ウィング」が迎え撃った。英空軍はもう限界だと聞かされていたドイツの搭乗員は衝撃を受けた。現在、この日はバトル・オブ・ブリテン記念日とされている。

7結果

バトル・オブ・ブリテンの結果

9月17日、ヒトラーはイギリス上陸作戦を無期限に延期した。ドイツ空軍は約1900機、英空軍は戦闘機など約1000機を失ったとされる。チャーチルは英空軍の操縦士たちを称え、「これほど多くの人々が、これほど少ない人々に、これほど多くを負ったことはない」と語った。夜間の都市爆撃は1941年5月まで続いた。

勝敗を分けたもの

レーダーと司令の仕組み

レーダーで敵の編隊を早くとらえ、司令部が地図の上で敵味方の位置を追いながら、戦闘機をむだなく送り出した。数で劣るイギリス空軍が戦い続けられたのは、この仕組みのおかげだった。

攻撃目標の転換

ドイツ空軍の攻撃で、イギリスの戦闘機の基地と操縦士は限界に近づいていた。ところが9月7日、ヒトラーは攻撃目標をロンドンに切り替えた。市民の犠牲は大きかったが、戦闘機の基地は立ち直る時間を得た。

自国の上空で戦う

イギリスの操縦士は撃墜されても自国の地上に降り、再び戦うことができた。ドイツの戦闘機は燃料が少なく、イギリスの上空にとどまれる時間が短かった。

主な人物とその後

ダウディングイギリス空軍 戦闘機軍団

イギリス空軍戦闘機軍団の司令官。レーダーと戦闘機をつなぐ防空の仕組みをつくり、戦闘機を大切に使って戦い抜いた。

チャーチルイギリス空軍 戦闘機軍団

イギリスの首相。操縦士たちをたたえて、「これほど多くの人々が、これほど少ない人々に、これほど多くを負ったことはない」と語った。

ゲーリングドイツ空軍

ドイツ空軍の総司令官。空軍だけでイギリスを屈服させられると考えていたが、果たせなかった。

戦いのあと

9月17日、ヒトラーはイギリス上陸作戦を無期限に延期した。ドイツ空軍は約1900機、イギリス空軍は約1000機を失ったとされる。

ドイツは夜間の都市爆撃(ブリッツ)に切り替え、1941年5月までロンドンなどの都市を爆撃し続けた。しかしイギリスは屈服せず、ヒトラーは目を東へ向け、1941年6月、ソ連に攻めこんだ。

諸説と論点

ドイツは本当に上陸するつもりだったのか

アシカ作戦の準備は進められたが、ヒトラーが本気で上陸を考えていたのか、イギリスを講和に追いこむための圧力だったのかは、議論がある。海峡を渡るには、空だけでなくイギリス海軍にも勝つ必要があった。

関連年表

1940年6月22日フランスがドイツと休戦
1940年7月10日海峡の船団への攻撃が始まる
1940年8月13日「鷲の日」。ドイツ空軍の総攻撃
1940年9月7日ロンドンへの爆撃が始まる
1940年9月15日バトル・オブ・ブリテン・デー
1940年9月17日ヒトラーが上陸作戦を延期
1941年6月ドイツがソ連に攻めこむ

両軍の戦力

ドイツ空軍約730

部隊兵力その後
Ju87 急降下爆撃機約80機戦死・壊滅
He111・Do17 爆撃機約300機戦死・壊滅
Bf109 戦闘機約250機
爆撃機(西から)約100機戦死・壊滅

イギリス空軍 戦闘機軍団約270・船40艘

部隊兵力その後
ロンドン炎上
ビギン・ヒル損害
ケンリー損害
タングミア損害
マンストン損害
ホーンチャーチ損害
海峡の船団約20隻
輸送船約20隻損害
ハリケーン約100機
スピットファイア約60機
ハリケーン(タングミア)約50機
「ビッグ・ウィング」約60機

決め手

バトル・オブ・ブリテン・デー

ドイツ空軍は昼間の大空襲をかけたが、南東の各飛行場の戦闘機に加え、北のダックスフォードから飛来した大編隊「ビッグ・ウィング」が迎え撃った。英空軍はもう限界だと聞かされていたドイツの搭乗員は衝撃を受けた。現在、この日はバトル・オブ・ブリテン記念日とされている。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「ヨーロッパ戦線 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:チャーチル『第二次世界大戦』(河出文庫)