合戦絵巻 ─ 幕末・明治維新 勢力図

宮古湾海戦

1869年3月25日(明治2年) / 陸中国 宮古湾

3月20日

箱館を出撃

1粒=約100人

1869年(明治2年)3月25日の夜明け、陸中国の宮古湾(いまの岩手県宮古市)で、箱館の旧幕府軍の軍艦「回天」が、新政府艦隊の最新鋭の装甲艦「甲鉄」に体当たりし、乗り移って奪い取ろうとした。作戦は甲鉄のガトリング砲に阻まれて失敗したが、土方歳三も加わったこの奇襲は、日本で初めての本格的な近代海戦の一つとして知られる。

上の観戦プレイヤーでは、新政府艦隊—と旧幕府軍(箱館政権)—の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

新政府艦隊
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旧幕府軍(箱館政権)
—
いつ
3月20日 → 結果

なぜ戦ったのか

戊辰戦争で敗れた旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚は、1868年8月、軍艦を率いて江戸を脱出し、蝦夷地へ渡った。12月には箱館の五稜郭を拠点に、いわゆる箱館政権をつくった。

旧幕府軍の強みは海軍だったが、主力艦の「開陽」が江差の沖で座礁して沈み、海軍力は大きく落ちていた。一方の新政府は、旧幕府がアメリカに注文していた装甲艦「甲鉄」(のちの「東」)を手に入れ、蝦夷地へ向けて艦隊を北上させていた。

新政府艦隊が宮古湾に寄るとの知らせを受けた旧幕府軍は、甲鉄を奪い取る大胆な作戦を立てた。軍艦の横に自分の船を付けて兵が乗り移る「アボルダージュ」と呼ばれる戦法である。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

13月20日

箱館を出撃

新政府艦隊が蝦夷地へ向かう途中、宮古湾に寄港するとの情報をつかんだ旧幕府軍は、最新の装甲艦「甲鉄」を奪い取る奇襲作戦を立てた。回天・蟠竜・高雄の3隻が箱館を出た。

23月22日〜24日

嵐で艦隊がはぐれる

途中で嵐に遭い、蟠竜ははぐれ、高雄は機関が故障した。回天は単独で作戦を決行することになった。

33月25日 夜明け

米国旗を掲げて接近

回天は国際法で許された奇計として、アメリカの国旗を掲げて宮古湾に入った。停泊中の新政府艦隊は油断していた。

43月25日

接舷攻撃(アボルダージュ)

甲鉄の目前で日章旗に掲げ替えた回天は、甲鉄に船体をぶつけた。しかし回天の舷側は甲鉄より約3mも高く、切り込み隊は甲板に飛び降りなければならなかった。待ち構えた甲鉄のガトリング砲が火を噴き、切り込んだ兵の多くが倒れた。

5約30分後

回天の撤退・高雄の座礁

艦長の甲賀源吾も銃弾に倒れ、回天は作戦を断念して湾を離れた。土方歳三は生還した。遅れて来た高雄は追撃されて座礁し、乗員は捕虜となった。

6結果

宮古湾海戦の結果

わずか30分ほどの戦いだったが、日本で初めての本格的な近代海戦の一つとされる。甲鉄を奪えなかった旧幕府軍は海軍力で劣り、4月に新政府軍の上陸を許すことになった。春日には、のちに日本海海戦を指揮する東郷平八郎が乗っていた。

勝敗を分けたもの

嵐で崩れた計画

回天・蟠竜・高雄の3隻で出撃したが、途中で嵐に遭い、蟠竜ははぐれ、高雄は機関が故障した。もとは3隻で甲鉄を挟んで乗り移る計画だったが、回天1隻で挑むしかなくなった。

高さの違い

回天は外輪船で、横に甲鉄をつけることができず、船首から斜めにぶつかる形になった。しかも回天の甲板は甲鉄より3mほども高く、切り込み隊は上から1人ずつ飛び降りなければならなかった。

ガトリング砲

甲鉄には、一度にたくさんの弾を撃てる新式のガトリング砲が積まれていた。甲板に降りた兵は次々に撃たれ、作戦は30分ほどで失敗に終わった。

主な武将とその後

土方歳三旧幕府軍(箱館政権)

新選組の副長。旧幕府軍の陸軍奉行並として回天に乗り組み、無事に箱館へ戻った。2か月後の5月11日、箱館の戦いで銃弾に倒れた。

甲賀源吾旧幕府軍(箱館政権)

回天の艦長。銃弾を受けても指揮を続けたが、ついに倒れた。旧幕府海軍きっての勇士とたたえられた。

東郷平八郎新政府艦隊

薩摩藩士。新政府艦隊の「春日」に乗り組んでいた。のちに連合艦隊司令長官として日露戦争の日本海海戦を指揮する。

合戦のあと

甲鉄を奪えなかった旧幕府軍は、海軍力で新政府軍に大きく劣ることになった。遅れて宮古湾に向かった高雄は追撃されて座礁し、乗員は捕らえられた。

4月、新政府軍は甲鉄を中心とする艦隊に守られて蝦夷地の乙部に上陸し、箱館へ攻め進んだ。5月11日に土方歳三が戦死し、5月18日、榎本武揚らは五稜郭を明け渡して降伏した。これで戊辰戦争は終わった。

諸説と論点

外国の国旗を掲げたのは正しかったのか

回天がアメリカの国旗を掲げて近づき、攻撃の直前に日の丸に掲げかえたのは、当時の国際法で認められた「偽旗」の戦法とされる。攻撃の前に自分の旗に戻すことが条件だった。

土方歳三の役割

土方歳三は陸軍の指揮官として回天に乗り組んでいたとされるが、戦いの中でどのような働きをしたのかは、はっきりとはわかっていない。

関連年表

1868年8月榎本武揚が軍艦を率いて江戸を脱出
1868年11月旗艦の開陽が江差沖で座礁し沈む
1868年12月箱館政権が成立
1869年3月25日宮古湾海戦
1869年4月新政府軍が蝦夷地の乙部に上陸
1869年5月11日箱館総攻撃。土方歳三が戦死
1869年5月18日五稜郭が開城し、戊辰戦争が終わる

両軍の陣容

新政府艦隊—

部隊兵力その後
甲鉄(装甲艦)ガトリング砲装備勝利
春日(東郷平八郎乗艦)
陽春・丁卯など

旧幕府軍(箱館政権)—

部隊兵力その後
回天(艦長 甲賀源吾・土方歳三)敗走
高雄沈没
蟠竜

決め手

接舷攻撃(アボルダージュ)

甲鉄の目前で日章旗に掲げ替えた回天は、甲鉄に船体をぶつけた。しかし回天の舷側は甲鉄より約3mも高く、切り込み隊は甲板に飛び降りなければならなかった。待ち構えた甲鉄のガトリング砲が火を噴き、切り込んだ兵の多くが倒れた。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「幕末・明治維新 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:『復古記』