合戦絵巻 ─ 春秋戦国 勢力図

晋陽の戦い(三家分晋)─ 智伯の水攻め

前455年〜前453年 / 晋 晋陽

前455年

晋陽の包囲

1粒=約100人

紀元前455年から前453年にかけて、晋の晋陽(いまの山西省太原市)で、晋で最も強い家臣の智伯が、韓・魏とともに趙を攻めた。智伯は汾水の水を引き入れて城を沈めようとしたが、韓・魏が寝返り、堤を切って水を智伯の陣に流しこんだ。智伯は滅び、晋は韓・魏・趙の三家に分けられた。戦国時代の始まりとされる出来事である。

上の観戦プレイヤーでは、智伯と韓・魏—と趙(晋陽)—の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの5つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

智伯と韓・魏
—
趙(晋陽)
—
いつ
前455年 → 結果

なぜ戦ったのか

春秋時代の大国・晋では、君主の力が衰え、有力な家臣の家(卿)が国を動かすようになっていた。やがて智・韓・魏・趙の四家が残り、中でも智伯が最も強かった。

智伯は、韓・魏・趙の三家に領地を差し出させようとした。韓と魏はしかたなく応じたが、趙の当主・趙襄子は拒んだ。

前455年、智伯は韓・魏を従えて趙を攻めた。趙襄子は、父の代から民を大切にして治めてきた晋陽の城にこもった。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

1前455年

晋陽の包囲

晋で最も強い智伯は、韓・魏・趙に領地を差し出させようとした。趙襄子が拒むと、智伯は韓・魏を従えて趙を攻めた。趙襄子は、父の代から民を大切にしてきた晋陽の城にこもった。

2前453年

汾水の水攻め

2年たっても落ちない晋陽に、智伯は汾水の流れを引き入れた。城は水に沈み、城壁があと三版(約1.8m)で水に届くところまでになった。かまどの中にカエルが生まれるほどだったが、民は背かなかった。

3前453年

唇亡びて歯寒し ─ 密使

智伯は「水で国を滅ぼせることがわかった」と言った。韓・魏の当主は、自分たちの本拠も川のそばにあることに気づき、青ざめた。趙の張孟談は夜ひそかに城を出て二人に会い、「趙が滅べば次はあなたがたの番です」と説いた。

4前453年

堤を切る

約束の夜、韓・魏は智伯の築いた堤を切り、水を逆に智伯の陣に流し込んだ。混乱する智伯軍を、韓・魏が両側から、趙が正面から攻めた。

5結果

晋陽の戦いの結果

智伯は殺され、その領地は韓・魏・趙で分けられた。趙襄子は智伯の頭蓋骨に漆を塗って酒杯にしたという。晋の君主は名ばかりとなり、前403年に三家は正式に諸侯となった。この戦いを戦国時代の始まりとする考え方もある。

勝敗を分けたもの

民に支えられた籠城

晋陽は2年たっても落ちなかった。水攻めで城壁のすぐ下まで水に浸かり、かまどの中にカエルが生まれるほどになっても、民は趙襄子に背かなかった。日ごろから民を大切にしていたことが、籠城を支えた。

唇亡びて歯寒し

智伯が「水で国を滅ぼせることがわかった」と言ったのを聞いて、韓・魏の当主は、自分たちの本拠も川のそばにあることに気づいた。趙の使者・張孟談はひそかに二人に会い、「趙が滅べば、次はあなたがたの番です」と説いた。

堤を切る

約束の夜、韓・魏は智伯の築いた堤を切り、水を逆に智伯の陣に流しこんだ。混乱する智伯軍を、韓・魏が両側から、趙が正面から攻め、智伯は殺された。

主な武将とその後

趙襄子趙(晋陽)

趙の当主。晋陽で籠城を耐えぬき、韓・魏を味方に引き入れて智伯を滅ぼした。智伯の頭蓋骨に漆を塗って酒杯にしたと伝わる。

智伯智伯と韓・魏

晋で最も強い家の当主。才能に恵まれていたが、傲慢で人の心を読めず、味方の韓・魏に裏切られて滅んだ。

張孟談趙(晋陽)

趙の家臣。夜ひそかに城を出て、韓・魏の当主を寝返らせた。

予譲智伯の家臣

智伯の家臣。主君の仇を討つため、体に漆を塗り炭を飲んで姿と声を変え、趙襄子の命を狙った。「士は己を知る者のために死す」の言葉で知られる。

合戦のあと

智伯の領地は韓・魏・趙の三家で分けられた。晋の君主は名ばかりとなり、前403年、周王は三家を正式に諸侯として認めた(三家分晋)。

これをもって、春秋時代が終わり戦国時代が始まるとする考え方がある。韓・魏・趙は、秦・楚・斉・燕とともに「戦国の七雄」と呼ばれ、前221年に秦が天下を統一するまで争い続けた。

諸説と論点

戦国時代はいつ始まったのか

戦国時代の始まりには、晋陽の戦いの前453年、三家が諸侯と認められた前403年、『史記』の記述に合わせた前475年など、いくつかの考え方がある。北宋の司馬光の『資治通鑑』は、前403年から書き始めている。

関連年表

前632年城濮の戦い。晋が覇者となる
前497年〜晋で卿どうしの争いが激しくなる
前455年智伯が韓・魏とともに趙の晋陽を囲む
前453年晋陽の戦い。智伯が滅ぶ
前403年韓・魏・趙が諸侯と認められる(三家分晋)
前221年秦が天下を統一

両軍の陣容

智伯と韓・魏—

部隊兵力その後
智伯総大将討死・壊滅
韓康子寝返り
魏桓子寝返り

趙(晋陽)—

部隊兵力その後
晋陽城(趙襄子)総大将包囲
張孟談(趙の使者)
趙の兵

決め手

堤を切る

約束の夜、韓・魏は智伯の築いた堤を切り、水を逆に智伯の陣に流し込んだ。混乱する智伯軍を、韓・魏が両側から、趙が正面から攻めた。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「春秋戦国 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:司馬遷『史記』趙世家、司馬光『資治通鑑』