合戦絵巻 ─ 春秋戦国 勢力図

城濮の戦い退避三舎

前632年 / 衛 城濮

前632年4月

三舎を退く

1粒=約100人

紀元前632年、衛の城濮(いまの山東省・河南省の境あたり)で、晋の文公の率いる晋・秦・斉・宋の連合軍が、楚の子玉の軍を破った。文公は、かつての恩人・楚王との約束を守って軍を「三舎(90里)」退かせ、追ってきた楚軍を迎え撃った。この勝利で晋の文公は諸侯の覇者となった。春秋時代を代表する戦いの一つである。

上の観戦プレイヤーでは、晋・秦・斉・宋の連合軍約700と楚・陳・蔡の連合軍—の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの5つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

晋・秦・斉・宋の連合軍
約700
楚・陳・蔡の連合軍
—
いつ
前632年4月 → 結果

なぜ戦ったのか

周の王の力が衰えた春秋時代、有力な諸侯は「覇者」として諸侯をまとめ、周王を支える役目を担った。最初の覇者は斉の桓公だった。その後、南の大国・楚が北へ勢力を伸ばし、中原の国々を従えようとしていた。

晋の文公(重耳)は、国の内紛で19年にわたって諸国を放浪した。楚に立ち寄ったとき、成王に手厚くもてなされ、「将来、晋と楚が戦場で出会ったら、三舎を退いて恩に報いる」と約束したという。

前636年に帰国して晋の君主となった文公は、国を立て直した。前632年、楚が宋を攻めると、宋を救うため、文公は楚と戦うことになった。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

1前632年4月

三舎を退く

晋の文公は、放浪中に楚の成王から受けた恩を忘れず、「戦場で出会えば三舎退く」という約束を守って軍を90里後退させた。楚の将・子玉は晋が逃げたと見て、成王の制止も聞かずに追ってきた。

2決戦

虎の皮の馬 ─ 楚の右軍の崩壊

晋の下軍の胥臣は、馬に虎の皮をかぶせて楚の右軍(陳・蔡の兵)に突っ込ませた。驚いた陳・蔡の兵は総崩れとなった。

3決戦

偽りの退却 ─ 楚の左軍を誘い出す

晋の上軍は旗を立てて退却するふりをし、欒枝は車に柴を引きずらせて土煙を上げ、晋軍が逃げているように見せた。楚の左軍が追ってくると、晋の中軍と上軍が両側から挟み撃ちにした。

4決戦

子玉の撤退

両翼を失った子玉は、中軍だけをまとめて退いた。晋軍は楚の陣に3日とどまり、楚軍の残した食料を食べたという。子玉は帰国の途中で責任を問われ、自害した。

5結果

城濮の戦いの結果

晋の文公は周王から「侯伯」(諸侯の長)に任じられ、践土の会で諸侯の盟主、すなわち覇者となった。この戦いから、北の晋と南の楚が100年以上にわたって争う時代が始まった。当時の戦いは、貴族が乗る戦車が主役で、一日で勝負が決まることが多かった。

勝敗を分けたもの

退いて有利な場所へ

文公は約束を守って軍を90里退かせた。恩に報いる義理を果たしたうえに、楚軍を自国から遠く、晋に有利な場所まで引き出すことにもなった。楚の将・子玉は、晋が逃げたと見て、成王の止めるのも聞かずに追ってきた。

弱いところから崩す

晋の下軍は、馬に虎の皮をかぶせて、楚の右軍の陳・蔡の兵に突っこんだ。楚の同盟国の兵は驚いて逃げ、楚軍の片側が崩れた。

偽りの退却

晋の上軍は退くふりをし、車に柴を引きずらせて土煙を上げ、晋軍全体が逃げているように見せた。追ってきた楚の左軍を、晋の中軍と上軍が両側から挟み撃ちにした。

主な武将とその後

晋の文公(重耳)晋・秦・斉・宋の連合軍

19年の放浪ののち晋の君主となり、この勝利で諸侯の覇者となった。斉の桓公と並ぶ「春秋の五覇」の一人に数えられる。

子玉(成得臣)楚・陳・蔡の連合軍

楚の将。勇猛だが強引で、晋との戦いをはやった。敗れて帰る途中、責任を問われて自害した。

胥臣晋・秦・斉・宋の連合軍

晋の下軍の将。馬に虎の皮をかぶせて楚の右軍を崩した。

合戦のあと

戦いのあと、文公は践土で諸侯を集めて会盟を開き、周王から諸侯の長として認められた。晋は以後長く、中原の諸侯の中心となった。

この戦いから、北の晋と南の楚が100年以上にわたって覇権を争う時代が始まった。両国の争いは、前546年の「弭兵の会」で休戦が結ばれるまで続いた。

諸説と論点

「退避三舎」は恩返しか、作戦か

三舎を退いたことは、恩に報いる礼儀として語られる一方、楚軍を有利な場所へ誘い出し、楚の側に「約束を破って追ってきた」という悪名を負わせる計算もあったと考えられている。礼と計算が重なっていたところに、春秋時代らしさがある。

戦車の戦い

当時の戦いは、貴族が乗る戦車が主役で、決められた手順で一日のうちに勝負がつくことが多かった。戦国時代になると、多くの歩兵を使う、より長く激しい戦いへと変わっていく。

関連年表

前770年周が都を洛邑に移す。春秋時代の始まり
前679年斉の桓公が覇者となる
前636年重耳が帰国し、晋の文公となる
前632年城濮の戦い。晋の文公が覇者となる
前597年邲の戦い。楚が晋を破る
前546年弭兵の会。晋と楚が休戦

両軍の陣容

晋・秦・斉・宋の連合軍約700

部隊兵力その後
晋の文公(中軍)総大将戦車700乗勝利
晋の上軍(狐毛・狐偃)
晋の下軍(胥臣)虎の皮をかぶせた馬勝利
欒枝(柴を引きずる車)

楚・陳・蔡の連合軍—

部隊兵力その後
楚の子玉(中軍)総大将敗走
楚の左軍(子西)敗走
楚の右軍(陳・蔡の兵)敗走

決め手

偽りの退却 ─ 楚の左軍を誘い出す

晋の上軍は旗を立てて退却するふりをし、欒枝は車に柴を引きずらせて土煙を上げ、晋軍が逃げているように見せた。楚の左軍が追ってくると、晋の中軍と上軍が両側から挟み撃ちにした。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「春秋戦国 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:『春秋左氏伝』、司馬遷『史記』晋世家