18月1日 午後
湾に停泊するフランス艦隊
ナポレオンを上陸させたブリュイの艦隊13隻は、アブキール湾の浅瀬に沿って一列に錨を下ろしていた。浅瀬の側(内側)から攻められることはないと考え、陸側の大砲は準備していなかった。水兵の多くは水をくむため陸に上がっていた。
合戦絵巻 ─ ナポレオン戦争 勢力図
8月1日 午後
1798年8月1日の夕方から2日にかけて、エジプトのアブキール湾で、ネルソンの率いるイギリス艦隊が、停泊していたフランス艦隊を襲った。イギリス艦の一部は、浅瀬側の内側に回りこんでフランス艦を両側から挟み撃ちにした。フランス艦隊はほぼ全滅し、エジプトに上陸したナポレオンの軍は、本国から切り離されてしまった。
上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。
フランス革命のあと、フランスはヨーロッパの国々と戦争を続けていた。1798年、若き将軍ナポレオンは、イギリスとインドを結ぶ道をおびやかすため、大軍を率いてエジプトに遠征した。
ナポレオンの軍を運んだブリュイの艦隊は、上陸を終えると、アレクサンドリアの東のアブキール湾に、浅瀬に沿って一列に錨を下ろした。浅瀬の側から攻められることはないと考え、陸側の大砲は準備していなかった。
イギリスのネルソンは、地中海を2か月にわたってフランス艦隊を探し回っていた。8月1日の午後、ついにアブキール湾にフランス艦隊を見つけた。
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18月1日 午後
ナポレオンを上陸させたブリュイの艦隊13隻は、アブキール湾の浅瀬に沿って一列に錨を下ろしていた。浅瀬の側(内側)から攻められることはないと考え、陸側の大砲は準備していなかった。水兵の多くは水をくむため陸に上がっていた。
218時半
2か月もフランス艦隊を探し続けたネルソンは、見つけるとすぐに、夜になるのもかまわず攻撃を命じた。「ゴライアス」の艦長は、フランス艦の錨の鎖の長さから、内側に艦が通れる深さがあると見抜いた。
318時半〜20時
5隻が内側に回りこみ、残りは外側に並んで、フランスの前衛の艦を両側から撃った。風下の後衛は助けに来られず、前衛の艦は1隻ずつ降伏した。
421時45分〜22時
旗艦「オリアン」が燃え上がり、弾薬庫に火が回って大爆発した。司令官ブリュイは戦死し、艦長の12歳の息子も最後まで持ち場を離れなかったと伝えられる。あまりの光景に、両軍とも数分間撃つのをやめたという。
58月2日 朝
夜通し戦いは続いた。朝、後衛のヴィルヌーヴは「ギヨーム・テル」など2隻の戦列艦と2隻のフリゲート艦だけを連れて逃れた。
6結果
フランスは戦列艦13隻のうち11隻を失い、戦死者は約1700人(イギリスは約220人)。ナポレオンの軍はエジプトに閉じこめられ、オスマン帝国もフランスに宣戦した。ネルソンは英雄となり、男爵に叙せられた。
日が暮れかけていたが、ネルソンはすぐに攻撃を命じた。夜の戦いを避けて翌朝を待つのがふつうだったが、フランス艦隊に準備の時間を与えなかった。
先頭の「ゴライアス」の艦長は、フランス艦の錨の鎖の長さから、内側にも艦が通れる深さがあると見抜き、浅瀬側に回りこんだ。準備のできていない側から撃たれたフランス艦は、両側から挟まれて次々に降伏した。
風はフランス艦隊の前から後ろへ吹いていた。後ろに並んだフランスの後衛は、風に逆らって前衛を助けに行くことができず、ほとんど戦わずに見ていることになった。
イギリス艦隊の司令官。この戦いで頭に傷を負いながらも大勝し、英雄となって男爵に叙せられた。7年後のトラファルガーの海戦で戦死する。
フランス艦隊の司令官。旗艦「オリアン」で戦い、砲弾を受けて戦死した。「オリアン」はその後、大爆発を起こして沈んだ。
フランス艦隊の後衛の司令官。わずかな艦を連れて脱出した。のちにトラファルガーで、再びネルソンと戦うことになる。
フランスは戦列艦13隻のうち11隻を失った。エジプトのナポレオン軍は本国との連絡を断たれ、オスマン帝国もフランスに宣戦した。ナポレオンは翌1799年、軍を残してひそかにフランスへ帰り、クーデターで政治の実権を握った。
この戦いで、地中海の海の支配はイギリスのものとなった。ネルソンの名声は高まり、イギリスの海軍の優位はトラファルガーの海戦へと受け継がれていく。
「オリアン」の艦長の12歳の息子が、父の命令を守って燃える艦の甲板を最後まで離れなかったという話は、のちに詩に歌われて広く知られた。細部は伝説化しているとみられる。
内側に回りこんだのは「ゴライアス」の艦長フォーリーの判断とされるが、ネルソンが前もって艦長たちに、状況に応じて自分で判断するよう伝えていたことが大きかった、ともいわれる。
| 1789年 | フランス革命 |
|---|---|
| 1798年7月 | ナポレオンがエジプトに上陸。ピラミッドの戦い |
| 1798年8月1日〜2日 | ナイルの海戦 |
| 1799年11月 | ナポレオンがクーデターで政権を握る |
| 1805年10月 | トラファルガーの海戦 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| フランス前衛(「ゲリエ」ほか) | 4隻 | 降伏 |
| 「スパルシアート」ほか | 2隻 | 降伏 |
| 旗艦「オリアン」(ブリュイ)総大将 | 1隻 | 沈没 |
| 「トナン」ほか | 3隻 | 降伏 |
| 後衛(ヴィルヌーヴ「ギヨーム・テル」) | 3隻 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| 「ゴライアス」ほか4隻 | 5隻 | |
| 旗艦「ヴァンガード」(ネルソン)総大将 | 1隻 | |
| 「ベレロフォン」ほか | 7隻 |
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この合戦は「ナポレオン戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:杉本淑彦『ナポレオン ─ 最後の専制君主、最初の近代政治家』(岩波新書)