11916年
開業
1916年、木次線の約21kmの線路が開業した。宍道・木次・加茂中・出雲大東の駅が、このころ開業している。
路線クロニクル
木次線は、島根県の宍道から中国山地をこえて広島県の備後落合へ向かう、JR西日本のローカル線である。日本神話の舞台、奥出雲を走る。
島根県の宍道湖の近くにある宍道から南へ向かい、斐伊川ぞいにさかのぼって中国山地をこえる路線が木次線である。最初は私鉄の簸上鉄道が、1916年に宍道から木次までの短い路線を開業した。のちに国有化された。
その後、線路は少しずつ山の奥へと延び、1930年代に備後落合までつながって、芸備線と接続した。山陰と山陽を結ぶ道として期待されたが、険しい山を通るため、大きな幹線にはならなかった。
国鉄の分割民営化ののちはJR西日本の路線となり、現在は観光のための列車と、地域の生活の足の両方の役割をもっている。
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11916年
1916年、木次線の約21kmの線路が開業した。宍道・木次・加茂中・出雲大東の駅が、このころ開業している。
21932〜1937年
1932年から1937年にかけて、約61kmの線路が開業した。出雲三成・下久野・出雲八代・日登・八川などの駅が、このころ開業している。
31949年
1949年、国の鉄道は日本国有鉄道(国鉄)となり、この路線も国鉄の線になった。
41987年
1987年4月、国鉄の分割民営化で、この路線はJR西日本の路線となった。
5いま
いまはJR西日本の路線として、地図データの上で約82km、18駅がある。
出雲坂根のあたりは急な坂で、列車が前後に向きを変えながら山をのぼる三段式のスイッチバックがある。全国でも珍しい設備として知られる。
観光用に、窓の大きなトロッコ列車「奥出雲おろち号」が運転されてきた(2023年で運転を終えた)。八岐大蛇の神話にちなんだ名前で、斐伊川ぞいの景色を楽しめる。
亀嵩は、松本清張の小説『砂の器』の舞台として知られる。駅の中にそば店があることも、この駅の特徴である。
終点に近い三井野原は、標高の高い高原にある駅で、JR西日本の駅の中でも高い場所にあるとされる。冬は雪が深い。
いまの木次線は、宍道から木次までは比較的利用者が多いが、山の奥へ進むほど乗る人が少なくなる。とくに出雲横田から備後落合の間は、列車の本数が少ない区間として知られる。
雪の多い冬には運転が難しくなることもあり、路線の将来について、地元とJRが話し合いを続けている。
地図データ上の線路の長さを、開業した年ごとに足したもの(公式の営業キロとは少し違います)。1950年より前は、駅の開業年から推定した年です。
| 1916年ごろ | 21.1 km |
|---|---|
| 1932年ごろ | 20.3 km |
| 1934年ごろ | 14.7 km |
| 1937年ごろ | 25.6 km |
国土数値情報に記録された駅と、その供用開始年。1950年より前に廃止された駅は含みません。
| 駅 | 開業 | その後 |
|---|---|---|
| 宍道 | 1916年 | |
| 南宍道 | 1962年 | |
| 加茂中 | 1916年 | |
| 幡屋 | 1918年 | |
| 出雲大東 | 1916年 | |
| 南大東 | 1963年 | |
| 木次 | 1916年 | |
| 日登 | 1932年 | |
| 下久野 | 1932年 | |
| 出雲八代 | 1932年 | |
| 出雲三成 | 1932年 | |
| 亀嵩 | 1934年 | |
| 出雲横田 | 1934年 | |
| 八川 | 1934年 | |
| 備後落合 | 1937年 | |
| 油木 | 1937年 | |
| 出雲坂根 | 1937年 | |
| 三井野原 | 1949年 |
同じ名前の駅でつながっている国鉄・JR・第三セクターの路線(いまはない線も含む)。
線路の形と期間、駅の開業年は、国土数値情報「鉄道時系列データ」(国土交通省)を加工して作成しました。1950年より前に開業した区間の年は、駅の供用開始年から推定したもので、実際と前後することがあります。会社名・路線名の移り変わりと解説文は、このサイトでまとめたものです。
主な参考:国土交通省『国土数値情報 鉄道時系列データ』