11929〜1932年
開業
1929年から1932年にかけて、広尾線の約84kmの線路が開業した。帯広・愛国・大正・中札内・更別などの駅が、このころ開業している。
路線クロニクル
広尾線は、北海道の十勝平野にある帯広と、太平洋に近い広尾を結んでいた国鉄の路線である。「愛国から幸福ゆき」の切符で全国に知られ、1987年に廃止された。
十勝平野は、明治のおわりごろから開拓が進んだ畑作と酪農の土地である。広尾線は、その南の町や村と、十勝の中心である帯広を結び、農産物や木材を運ぶために作られた。
線路は1929年から1932年にかけて少しずつのび、1932年に広尾まで全通した。帯広から南へ、愛国、大正、中札内、更別、大樹を通って広尾へ向かう約84kmの路線であった。
戦後は、豆やてん菜、じゃがいもなどの農産物を運んだが、自動車の普及で乗る人も荷物も減っていった。国鉄の赤字路線を整理する流れの中で、特定地方交通線として廃止が決まり、1987年に営業を終えた。
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11929〜1932年
1929年から1932年にかけて、広尾線の約84kmの線路が開業した。帯広・愛国・大正・中札内・更別などの駅が、このころ開業している。
21949年
1949年、国の鉄道は日本国有鉄道(国鉄)となり、この路線も国鉄の線になった。
31987年
1987年、残る約84kmが廃止され、広尾線は姿を消した。帯広・依田・北愛国・愛国・大正などの駅もなくなった。
4廃止のあと
線路の跡は、灰色の点線で描いている。駅の跡や鉄橋などが、いまも沿線に残っていることがある。
帯広の近くには「愛国」と「幸福」という縁起のよい名前の駅があり、「愛国から幸福ゆき」の切符が人気を集めた。これが全国的なブームになり、多くの人が訪れた。
沿線には見わたすかぎりの畑や牧場が広がる。広尾線は、そうした農業の土地を支える足であった。
広尾は太平洋に面した港町で、海産物でも知られる。内陸の畑作地帯から海辺の町まで、景色が変わっていくのも広尾線の魅力であった。
廃止後、愛国駅や幸福駅の駅舎やホームは、記念の施設として保存された。とくに幸福駅は観光地となり、訪れる人が絶えなかったことで知られる。
線路の跡の一部は、道路や公園などとして使われている。いまは路線バスなどが沿線の町を結んでいる。
地図データ上の線路の長さを、開業した年ごとに足したもの(公式の営業キロとは少し違います)。1950年より前は、駅の開業年から推定した年です。
| 1929年ごろ | 27.9 km |
|---|---|
| 1930年ごろ | 32.5 km |
| 1932年ごろ | 23.2 km |
国土数値情報に記録された駅と、その供用開始年。1950年より前に廃止された駅は含みません。
| 駅 | 開業 | その後 |
|---|---|---|
| 帯広 | 1929年 | 1987年に北海道旅客鉄道へ |
| 依田 | 1957年 | 1987年ごろ廃止 |
| 北愛国 | 1953年 | 1987年ごろ廃止 |
| 愛国 | 1929年 | 1987年ごろ廃止 |
| 大正 | 1929年 | 1987年に西日本旅客鉄道へ |
| 幸福 | 1956年 | 1987年ごろ廃止 |
| 中札内 | 1929年 | 1987年ごろ廃止 |
| 更別 | 1930年 | 1987年ごろ廃止 |
| 上更別 | 1930年 | 1987年ごろ廃止 |
| 忠類 | 1930年 | 1987年ごろ廃止 |
| 十勝東和 | 1960年 | 1987年ごろ廃止 |
| 大樹 | 1930年 | 1987年ごろ廃止 |
| 石坂 | 1932年 | 1987年ごろ廃止 |
| 豊似 | 1932年 | 1987年ごろ廃止 |
| 野塚 | 1932年 | 1987年ごろ廃止 |
| 新生 | 1960年 | 1987年ごろ廃止 |
| 広尾 | 1932年 | 1987年に帝都高速度交通営団へ |
同じ名前の駅でつながっている国鉄・JR・第三セクターの路線(いまはない線も含む)。
線路の形と期間、駅の開業年は、国土数値情報「鉄道時系列データ」(国土交通省)を加工して作成しました。1950年より前に開業した区間の年は、駅の供用開始年から推定したもので、実際と前後することがあります。会社名・路線名の移り変わりと解説文は、このサイトでまとめたものです。
主な参考:国土交通省『国土数値情報 鉄道時系列データ』