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韮崎市にらさきし

1920年には14の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の韮崎市になりました。

14町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の韮崎市

山梨県の北西部、甲府盆地の北西の端にあるまちです。市域の中央を釜無川と塩川が南へ流れ、その流域の平らな土地に市街地が広がります。西には鳳凰三山などの山々が連なり、東には茅ヶ岳の丘陵が広がります。江戸時代は甲州街道の宿場町で、信州方面へ向かう街道の要衝でした。今も中央自動車道のインターチェンジや工業団地があり、サッカーの盛んなまちとしても知られます。

今の韮崎市の区域の人口は、2020年の国勢調査で29,067人です。今の区域で数えた1980年の27,343人とくらべると6.3%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.7%です。

29,067人人口(2020年)
+6.3%1980年からの増減
143.69km²面積(国土地理院)
202人/km²人口密度
30.7%65歳以上の割合
33,8011980199020052020
15歳未満 10.9%15〜64歳 58.3%65歳以上 30.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:電子部品などの工場、桃・ぶどうなどの果樹、米づくり

特産品・名産

  • 桃市の名産・特産に挙げられる果物
  • ぶどう市の名産・特産に挙げられる果物
  • 武川米市の名産・特産に挙げられる米
  • つぼ汁タニシを使った味噌汁

見どころ・祭り

  • 新府城武田勝頼が築いた城。国の史跡
  • 願成寺武田信義の氏寺と伝わる寺
  • 武田八幡宮武田信義が勧請したと伝わる神社
  • わに塚の桜市内にある桜の木

木さくら花レンゲツツジ鳥チョウゲンボウ韮崎市の木・花・鳥

韮崎市のなりたち

韮崎市(にらさきし)は、山梨県中北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、14の町村がありました。祖母石村・更科村・駒井村・下條村・穴山村・中田村・円野村・穂坂村・清哲村・神山村・龍岡村・大草村・旭村・韮崎町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の韮崎市になりました。

今の名前「韮崎市」は、1920年にあった韮崎町の名前を受け継いでいます。ほかの13の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は北巨摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北巨摩郡は2006年(平成18年)3月15日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧穴山村の区域には穴山駅(中央本線)があります。

141920年の町村の数
3回合併・編入の回数
144km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

「韮崎市」という名前

市の名は、江戸時代の宿場町・韮崎宿に由来します。「韮崎」という地名の起こりには説がいくつかあります。長く伸びる七里岩がニラの葉のように見え、その先(崎)に宿場があったからとする説があります。ニラが群生する土地だったからとする説もあります。宿場として栄えた韮崎の名が、町の名を経て市の名になりました。

まちの成り立ち

韮崎は江戸時代、甲州街道と駿州往還・佐久往還が交わる要地で、河原部村に宿場の韮崎宿が置かれました。1889年(明治22年)7月1日の町村制で、今の市域には河原部村など14の村が発足します。1892年(明治25年)9月20日には河原部村が町制を施行して名を改め、韮崎町となりました。1903年(明治36年)には中央線が韮崎まで開通しています。

1937年(昭和12年)に更科村と祖母石村が韮崎町に編入され、1940年(昭和15年)には駒井村と下條村が合併して藤井村が生まれました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)10月10日に韮崎町・穂坂村・藤井村・清哲村・神山村・大草村・竜岡村・旭村・中田村・穴山村・円野村の11町村が合併し、韮崎市が発足しました。1958年(昭和33年)には北巨摩郡双葉町の一部(宇津谷の一部)を編入しています。

戦後は御勅使川工業団地がつくられ、1982年(昭和57年)には中央自動車道の韮崎インターチェンジが開設されました。市の西部の清哲町は、合成地名の例として知られる地名です。

年表

  1. 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、北巨摩郡に河原部村・更科村・祖母石村・穂坂村・駒井村・下条村・穴山村・中田村・円野村・清哲村・神山村・旭村・大草村・竜岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1892年9月20日明治25年河原部村が町制を施行するとともに改称し、韮崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1937年7月1日昭和12年更科村と祖母石村が韮崎町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  4. 1940年11月10日昭和15年駒井村と下條村が合併し、藤井村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1954年10月10日昭和29年韮崎町・穂坂村・藤井村・清哲村・神山村・大草村・竜岡村・旭村・中田村・穴山村・円野村が合併し、韮崎市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1958年8月10日昭和33年北巨摩郡双葉町の一部(宇津谷の一部)が韮崎市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

韮崎町→韮崎市1892〜今
穴山村1889〜1954同じ名前の駅:穴山駅
中田村1889〜1954
円野村1889〜1954
穂坂村1889〜1954
清哲村1889〜1954
神山村1889〜1954
龍岡村1889〜1954
大草村1889〜1954
旭村1889〜1954
藤井村1940〜1954
駒井村1889〜1940
下條村1889〜1940
祖母石村1889〜1937
更科村1889〜1937

参考にした資料