今の周南市
山口県の東部、瀬戸内海沿いにある市です。南は徳山湾に面して石油化学などの工場が並び、北は中国山地の山あいに続きます。大津島などの島も市に含まれます。海沿いは瀬戸内工業地域の一角で、化学や鉄鋼の工場群が広がります。北部では梨やぶどうが作られ、鶴が渡来する八代もあります。周南地区の中心の一つです。
今の周南市の区域の人口は、2020年の国勢調査で137,540人です。今の区域で数えた1980年の166,318人とくらべると17.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.8%です。
主な産業:化学・石油・鉄鋼などの重化学工業が中心で、北部では農業も行われています。
特産品・名産
- 徳山みかげ(御影石)黒髪島で採られ、国会議事堂の建設石材の一部にも使われた
- おみくじ国内に出回るおみくじの多くを鹿野地区で作る
- ふぐ粭島はふぐの延縄漁法の発祥地とされる
見どころ・祭り
- 大津島旧海軍の人間魚雷「回天」の基地があり、回天記念館がある
- 八代のツルおよびその渡来地国の特別天然記念物
- 周南コンビナートの工場夜景晴海親水公園は日本夜景遺産に選ばれている
- 遠石八幡宮本殿など8件が国の登録有形文化財
- 周南市徳山動物園市内の動物園
木クスノキ花サルビア周南市の木・花
周南市のなりたち
周南市(しゅうなんし)は、山口県周南圏の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、22の町村がありました。太華村・富岡村・加見村・久米村・湯野村・夜市村・戸田村・大津島村・富田町・福川町・中須村・須々万村・長穂村・須金村・向道村・和田村・八代村・高水村・勝間村・三丘村・鹿野村・徳山町です。これらの町村が、11回の合併や編入を経て、今の周南市になりました。
今の名前「周南市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの22の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の鹿野村が約126km²だったのに対し、今の周南市は約641km²と、およそ5.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は佐波郡・熊毛郡・都濃郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、佐波郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました、都濃郡は2003年(平成15年)4月21日に廃止されました。
「周南市」という名前
「周南」は、周防国の南部という意味の方角の地名です。山口県の瀬戸内海沿岸の広い地域を指す名として使われてきました。市名は、2001年(平成13年)に徳山市・下松市・新南陽市・熊毛町・鹿野町の合併協議会で、住民から公募した案をもとに決まりました。その後、下松市が協議から離れ、2市2町の協議会が名前を引き継ぎました。
まちの成り立ち
周南市の中心になった徳山は、1889年(明治22年)の町村制で都濃郡徳山村となり、1900年に徳山町、1935年(昭和10年)10月15日に市制を施行して徳山市になりました。1942年に加見村・久米村を編入し、1944年(昭和19年)4月1日には櫛浜町・富田町・福川町・大津島村・夜市村・戸田村・湯野村が合わさって、改めて徳山市が発足しました。戦後は1955年に向道村、1966年に都濃町を編入しています。富田町と福川町は1953年に合わさって南陽町になり、1970年に市制を施行して新南陽市になりました。ほかに、熊毛郡では1956年に勝間村・高水村・三丘村・八代村が合わさって熊毛町が、都濃郡では鹿野村が1940年に町制を施行して鹿野町になっています。徳山の石油コンビナートは、旧海軍の燃料廠などから発展しました。2003年(平成15年)4月21日、徳山市・新南陽市・熊毛町・鹿野町の2市2町が新設合併し、周南市が発足しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、都濃郡に徳山村・太華村・久米村・須々万村・中須村・須金村・鹿野村・向道村・長穂村・加見村・富岡村・富田村・福川村・夜市村・大津島村・戸田村・湯野村が、熊毛郡に三丘村・高水村・勝間村・八代村が、佐波郡に和田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1900年10月15日明治33年都濃郡の徳山村が町制を施行して徳山町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1912年1月1日明治45年都濃郡の福川村が町制を施行して福川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1915年11月10日大正4年都濃郡の富田村が町制を施行して富田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1935年10月15日昭和10年都濃郡の徳山町が市制を施行して徳山市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1940年4月29日昭和15年都濃郡の太華村が町制を施行し、改称して櫛浜町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1940年11月3日昭和15年都濃郡の鹿野村が町制を施行して鹿野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年11月3日昭和16年都濃郡富岡村が富田町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年都濃郡の加見村と久米村が徳山市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1944年4月1日昭和19年徳山市と都濃郡の櫛浜町・富田町・福川町・大津島村・夜市村・戸田村・湯野村が合併し、改めて徳山市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1949年4月1日昭和24年熊毛郡高水村の大字原の一部が勝間村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1949年8月1日昭和24年徳山市の富田の区域が分かれ、都濃郡富田町が再び置かれた。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1949年9月1日昭和24年徳山市の福川の区域が分かれ、都濃郡福川町が再び置かれた。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1950年4月1日昭和25年熊毛郡周防村の大字小周防の一部が勝間村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1953年10月1日昭和28年都濃郡の富田町と福川町が合併して南陽町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年12月1日昭和29年都濃郡の須々万村・中須村・長穂村が合併して都濃町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年7月20日昭和30年都濃郡須金村の一部(金峰と須万の一部)が鹿野町に編入され、都濃町と須金村の残りが合併して改めて都濃町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年10月1日昭和30年都濃郡向道村が徳山市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年11月1日昭和30年佐波郡和田村が南陽町に編入され、佐波郡徳地町の一部(巣山)が鹿野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年熊毛郡の三丘村・高水村・勝間村・八代村が合併して熊毛町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1962年4月1日昭和37年都濃郡都濃町の一部(大字中須南字滝ノ口)が下松市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1966年1月1日昭和41年都濃郡都濃町が徳山市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1970年11月1日昭和45年都濃郡の南陽町が市制を施行し、改称して新南陽市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 2003年4月21日平成15年徳山市・新南陽市と熊毛郡熊毛町、都濃郡鹿野町が合併して周南市が発足した。都濃郡はなくなった。種類:新設合併 出典:www.pref.yamaguchi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。