今の佐那河内村
徳島県の北東部にある、県内でただ一つの村です。旭ヶ丸などの山が連なり、園瀬川や嵯峨川が流れます。かつては材木の産地で、今は米作のほか、スダチやももいちごの栽培が盛んです。徳島市へ通勤する人も多く、兼業農家があります。すべての集落に常会という住民の自治組織があり、古くからの自治が続いています。
今の佐那河内村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,058人です。今の区域で数えた1980年の3,828人とくらべると46.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.9%です。
主な産業:スダチ・ミカン・イチゴ(ももいちご)の栽培と、米作が中心です。
特産品・名産
- スダチ村の木でもある、村を代表する農産物
- ももいちごさくらももいちごが作られる
- ミカン村内で栽培される
見どころ・祭り
- 大川原高原村内の高原
- 嵯峨峡村内を流れる嵯峨川の渓谷
- 湯壺の滝村内の滝
- 御間都比古神社長国造の祖を祀ったと伝わる神社
木スダチ花シャクナゲ鳥ウグイス佐那河内村の木・花・鳥
佐那河内村のなりたち
佐那河内村(さなごうちそん)は、徳島県東部の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに佐那河内村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は名東郡に属していました。
「佐那河内村」という名前
「佐那河内」の名の由来ははっきりしていません。神山町の勧善寺にある1388年(嘉慶2年)の奥書のある大般若経に「佐那河内主蓮寺」とあり、これが村の名の最初の記録です。江戸時代の1664年(寛文4年)の帳面には佐那河内村・中辺村・佐我村の三か村があり、幕末には上佐那河内村・下佐那河内村になっていました。1889年(明治22年)に二つが合わさり、佐那河内村が発足しました。
まちの成り立ち
佐那河内村は、徳島県でただ一つの村です。鎌倉時代については、村内を流れる園瀬川の下流の遺跡から加工された木材が出土しており、材木の産地だったことがわかります。江戸時代には藩主の食べる米の産地になりました。1889年(明治22年)10月1日の町村制で、上佐那河内村と下佐那河内村の区域をもって佐那河内村が発足しました。名東郡の他の町村は、1926年(大正15年)の斎津村・沖洲村、1937年(昭和12年)の加茂町・加茂名町・八万村、1955年(昭和30年)の新居町・上八万村、1967年(昭和42年)の国府町と、順に徳島市へ編入されました。このため、名東郡は佐那河内村だけが残る「一郡一村」になりました。村内の47の集落すべてに常会という自治組織があります。国道438号の整備で徳島市への通勤がしやすくなり、兼業農家が増えました。米作のほか、スダチやさくらももいちごが作られています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、名東郡の上佐那河内村と下佐那河内村の区域で佐那河内村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tokushima.lg.jp
- 1967年1月1日昭和42年名東郡国府町が徳島市に編入され、名東郡に属する町村は佐那河内村だけとなった。種類:その他 出典:www.vill.sanagochi.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。