今の上三川町
宇都宮市の南に接し、関東平野の北部にあるまちです。地形はほぼ平坦で、東には鬼怒川、中央には江川、西寄りには田川が南へ流れています。川沿いに田園地帯が広がり、農村と工場、住宅地が隣り合っています。自動車工場の誘致によって、農業のまちに工業の働きが加わりました。特産のかんぴょうは、町の花であるゆうがおの実からつくられます。旧上三川、本郷、明治の地域が、今の町を形づくっています。
今の上三川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で30,806人です。今の区域で数えた1980年の24,597人とくらべると25.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は24.0%です。
主な産業:自動車工場を中心とする製造業と、米やかんぴょうなどの農業が盛んです。
特産品・名産
- かんぴょうゆうがおの実を細く切って乾燥した食品
- 黒チャーハン特製ソースと地域の食材を使う料理
- 福来べーさんかんぴょうの甘煮を白あんに入れた饅頭
見どころ・祭り
- 磯川緑地公園磯川に沿って遊歩道が続く公園
- 白鷺神社上三川の町なかにある神社
- 吉澤章折り紙記念室町出身の折り紙作家の作品を展示
木いちょう花ゆうがお鳥しらさぎ上三川町の木・花・鳥
上三川町のなりたち
上三川町(かみのかわまち)は、栃木県県央地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。本郷村・明治村・上三川町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の上三川町になりました。
今の名前「上三川町」は、1920年にあった上三川町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の上三川町が約20km²だったのに対し、今の上三川町は約55km²と、およそ2.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は河内郡に属していました。
「上三川町」という名前
「上三川」は、古代の河内郡にあった三川郷に由来するといわれています。町には河内郡の役所と考えられる遺跡もあり、古くから人が暮らした土地です。1889年の町村制で上三川村が置かれ、1893年に町となりました。1955年に本郷村、明治村と新設合併した際も、上三川の名前を受け継ぎました。以前の町と現在の町は区域が異なり、三町村の歩みを含む名前になっています。
まちの成り立ち
中世の1248年には宇都宮氏の南の砦として多功城が、1249年には上三川城が築かれました。
1889年(明治22年)の町村制で、河内郡に上三川村、本郷村、多功村が発足しました。鬼怒川、田川、江川の流域に広がる集落が、三つの村としてまとまったものです。多功村は1891年12月26日に明治村へ改称し、上三川村は1893年7月に町制を施行して上三川町となりました。
1955年4月29日、上三川町、本郷村、明治村が新設合併しました。旧町と同じ上三川町という名前ですが、三つの町村の区域を合わせた新しい自治体です。農村を中心としていた町は、1960年代から自動車工場を誘致し、田園の中に工業の働きを持つまちへと変わっていきました。
平成の合併では、宇都宮市、河内町、上河内町との協議に参加しましたが、その後に離脱しました。2007年に河内町と上河内町が宇都宮市に編入された後も、上三川町は町として続いています。町内では本郷、明治、多功などの名前が使われています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、河内郡の上三川村、本郷村、多功村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
- 1891年12月26日明治24年多功村が明治村に改称した。種類:改称 出典:www.town.kaminokawa.lg.jp
- 1893年7月明治26年上三川村が町制を施行し、上三川町となった。種類:町制施行 出典:www.town.kaminokawa.lg.jp
- 1955年4月29日昭和30年上三川町、本郷村、明治村が新設合併し、上三川町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。