今の上里町
埼玉県の北端に位置する児玉郡の町です。北と西では烏川や神流川を境に群馬県と接し、南と東では本庄市や神川町に接しています。農地が広がり、冬から春の風を防ぐ屋敷林も地域の景観となっています。神保原・賀美・七本木・長幡の四村を合わせた町で、町章にも四村の結び付きが表されています。町の木はヤエツバキ、花はサルビアです。
今の上里町の区域の人口は、2020年の国勢調査で30,343人です。今の区域で数えた1980年の19,700人とくらべると54.0%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.0%です。
主な産業:梨や小麦などの農業と、農産物直売や菓子づくりが営まれています。
特産品・名産
- 梨町を代表する果実。
- 小麦町の特産として栽培される作物。
- こむぎっち上里サブレ上里産小麦を使った焼き菓子。
見どころ・祭り
- 上里カンターレ南イタリアをモチーフにした洋菓子施設。
- アグリパーク上里地元農産物を扱う直売施設。
- 陽雲寺町の歴史を伝える寺。
木ヤエツバキ花サルビア上里町の木・花
上里町のなりたち
上里町(かみさとまち)は、埼玉県北部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。賀美村・神保原村・長幡村・七本木村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の上里町になりました。
今の名前「上里町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の七本木村が約9km²だったのに対し、今の上里町は約29km²と、およそ3.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は児玉郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧神保原村の区域には神保原駅(高崎線)があります。
「上里町」という名前
上里という名前は、1954年に四村が合併する際に選ばれました。県内で最も北側、地図の上に位置することや、円満な農村であること、書きやすいことが選定理由です。合併に向けた協議の中で1954年4月3日に上里が選定され、翌月に上里村が発足しました。1971年に町となってからも、この名前を引き継いでいます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、賀美郡に神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が発足しました。1896年4月1日の郡の再編で賀美郡が廃止され、四村は児玉郡に属しました。現在の上里町につながる村々は、町村制の発足時とその後で所属郡が変わっています。
四村は地域の行事に共通することが多く、1943年から1947年にかけては組合で青年学校を運営しました。四村の結び付きが強かったことが、合併の背景にありました。1954年3月12日に合併の推進協議会が設立され、村名を含むさまざまな協議が行われました。
同年4月3日、新しい村名として上里が選ばれました。5月3日には神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が新設合併し、上里村が生まれました。1971年11月3日には町制を施行し、上里町となりました。現在の町章にも四つの上の字が使われ、四村の合併を表しています。
町は埼玉県の北端にあり、北と西では烏川や神流川を境に群馬県と接しています。農地が広がる地域には、冬から春の風を防ぐための屋敷林も見られます。明治の四村を合わせた町は、県の北側に位置することにちなむ上里の名前で歩みを続けています。
年表
- 1889年4月1日明治22年賀美郡に神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年賀美郡が廃止され、神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が再編された児玉郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年5月3日昭和29年神保原村・賀美村・七本木村・長幡村が合併し、上里村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1971年11月3日昭和46年上里村が町制を施行し、上里町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。