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野迫川村のせがわむら

野迫川村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の野迫川村

奈良県の西南端、和歌山県に接する山あいの村です。北には高野山、南には伯母子岳や護摩壇山があり、急な斜面と谷に集落が点在します。標高が高く、夏は涼しく冬には雪が多い地域です。高野山から熊野へ向かう小辺路が通り、村の山地は高野龍神国定公園の一部になっています。渓流を生かしたわさび栽培とアマゴの養殖、香茸などの山の恵みを使う食文化も村の特色です。

今の野迫川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で357人です。今の区域で数えた1980年の1,121人とくらべると68.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.6%です。

357人人口(2020年)
−68.2%1980年からの増減
154.9km²面積(国土地理院)
2人/km²人口密度
50.6%65歳以上の割合
1,2131980199020052020
15歳未満 3.4%15〜64歳 46.1%65歳以上 50.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:わさび栽培とアマゴ養殖、山歩きや宿泊などの観光が行われています。

特産品・名産

  • わさび伯母子岳の渓流の水で育つ
  • アマゴ清流で育て、甘露煮などに加工
  • 香茸ごはん香りのある山のきのこを使う料理

見どころ・祭り

  • 伯母子岳高野龍神国定公園にある山
  • 立里荒神荒神岳に祀られる荒神
  • 熊野古道小辺路高野山と熊野を結ぶ参詣道

木しらかば花しゃくなげ鳥うぐいす野迫川村の木・花・鳥

野迫川村のなりたち

野迫川村(のせがわむら)は、奈良県南西部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに野迫川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の時点で、この区域の町村は吉野郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
155km²今の面積

「野迫川村」という名前

「野迫川」は、野川組・迫組・川波組から一字ずつ取った名前とされています。野川組は村の北部、迫組は南西部、川波組は中東部にあたる地域のまとまりでした。1889年の町村制で三つの組の村々をまとめ、野迫川村が発足しました。古い地域の名を一つの村名に織り込んだものです。川波組は村の歴史紹介では川並組とも表記され、今も三つの組の名が村の成立を伝えています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により吉野郡野迫川村が発足しました。野川組・迫組・川波組の村々をまとめ、今井・平川・柞原・中・上・北股・檜木股・北今西・弓手原・平・池津川・紫園・中津川・立里の十四村を区域としました。高い山と谷に囲まれた集落が、ひとつの村としてまとまった出発点です。

北には高野山があり、南には伯母子岳や護摩壇山の山々が続きます。村の暮らしは山の資源や渓流と結びつき、現在もわさびの栽培やアマゴの養殖などが行われています。香茸を使う料理も伝わり、山里の食材を生かす仕事と食文化が受け継がれてきました。

1953年には紀和水害で被害を受けました。1967年には高野龍神国定公園が指定され、村の山地もその一部となりました。1972年には村営バスの三路線の運行が始まり、1980年には高野龍神スカイラインが開通しています。山間の村と周辺地域をつなぐ足が整えられていきました。

2004年には、村を通る熊野古道小辺路が世界遺産に登録されました。高野山と熊野を結ぶ道を歩く人々を迎えながら、伯母子岳の山歩きや渓流の恵みを生かした観光も続いています。野川・迫・川波の村々が築いた山里の暮らしは、野迫川村の名とともに残っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制により、今井村・平川村・柞原村・中村・上村・北股村・檜木股村・北今西村・弓手原村・平村・池津川村・紫園村・中津川村・立里村の区域に吉野郡野迫川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1967年野迫川村の山地を含む高野龍神国定公園が指定された。種類:その他 出典:www.pref.nara.lg.jp
  3. 2004年野迫川村を通る熊野古道小辺路が「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産に登録された。種類:その他 出典:www.pref.nara.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

野迫川村1889〜今

参考にした資料