今の東松島市
宮城県の中部、松島湾と石巻湾に面した市です。東は石巻市、北は美里町、西は松島町に接します。鳴瀬川の河口にあたる野蒜、陸繋島の宮戸島、奥松島の大高森や嵯峨渓などの景勝地があります。航空自衛隊の松島基地があり、ブルーインパルスの本拠として知られます。縄文時代の里浜貝塚も残っています。三陸沿岸道路の開通で、仙台との行き来も便利になりました。
今の東松島市の区域の人口は、2020年の国勢調査で39,098人です。今の区域で数えた1980年の36,865人とくらべると6.1%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.6%です。
主な産業:海苔や牡蠣の養殖などの漁業と農業があり、航空自衛隊の基地もあります。
特産品・名産
- 海苔大曲浜の皇室献上の海苔
- 牡蠣奥松島でとれる牡蠣
- ハモ東松島市産のハモ
見どころ・祭り
- 大高森松島四大観の一つ。奥松島の山
- 嵯峨渓日本三大渓の一つとされる海岸
- 里浜貝塚縄文時代の貝塚
- 野蒜築港跡明治政府が初めて建設した洋式港の跡
- 航空自衛隊松島基地ブルーインパルスの本拠地
木松花さくら東松島市の木・花
東松島市のなりたち
東松島市(ひがしまつしまし)は、宮城県石巻地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。赤井村・大塩村・小野村・野蒜村・宮戸村・鷹来村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の東松島市になりました。
今の名前「東松島市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の小野村が約30km²だったのに対し、今の東松島市は約105km²と、およそ3.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は桃生郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、桃生郡は2005年(平成17年)4月1日に廃止されました。
「東松島市」という名前
市の名は、2005年(平成17年)4月1日に矢本町と鳴瀬町が合併して市が生まれたときに付けられました。市は日本三景の松島の東側にあたり、松島湾の東部の奥松島と呼ばれる島々や海岸を市域にふくみます。合併した2つの町のどちらの名も使わない新しい名前です。旧鳴瀬町の名は、町を流れて石巻湾に注ぐ鳴瀬川の名と同じです。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、桃生郡に宮戸村・野蒜村・小野村・鷹来村・深谷村などが発足しました。深谷村は1896年(明治29年)に分かれ、赤井村・大塩村などができました。明治時代には、野蒜に明治政府が初めて建設した洋式の港がつくられましたが、台風の被害で廃港になりました。
1940年(昭和15年)4月1日、鷹来村が町制を施行して矢本町と名を改めました。1955年(昭和30年)5月3日には、矢本町・赤井村・大塩村が合併して新しい矢本町が、小野村・野蒜村・宮戸村が合併して鳴瀬町が生まれました。2005年(平成17年)4月1日、矢本町と鳴瀬町が新設合併して東松島市が発足しました。
市内には航空自衛隊の松島基地があり、ブルーインパルスの本拠になっています。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、野蒜海岸で浸水の高さが最大10.35メートルに達し、市街地の約65%が浸水しました。1110人の市民が亡くなり、半壊以上の家屋被害は1万1千棟を超えました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、桃生郡に宮戸村・野蒜村・小野村・鷹来村・深谷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年桃生郡深谷村が廃止され、赤井村・大塩村・北村・須江村・広淵村に分かれた。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1940年4月1日昭和15年桃生郡鷹来村が町制を施行するとともに改称して矢本町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年5月3日昭和30年桃生郡の矢本町・赤井村・大塩村が合併して改めて矢本町が、小野村・野蒜村・宮戸村が合併して鳴瀬町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2005年4月1日平成17年桃生郡の矢本町と鳴瀬町が合併して東松島市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.miyagi.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。