今の名張市
三重県西部、伊賀盆地の南部にある市で、周囲を山と渓谷に囲まれています。赤目四十八滝や香落渓、青蓮寺湖などの自然に恵まれ、名張川が市内を流れます。近鉄大阪線で大阪まで約60分の位置にあり、大阪方面への通勤者のための大規模な住宅団地が広がります。昔から伊賀地方の商業の中心の一つでもあります。
今の名張市の区域の人口は、2020年の国勢調査で76,387人です。今の区域で数えた1980年の44,488人とくらべると71.7%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.8%です。
主な産業:稲作のほか、青蓮寺湖周辺のぶどう・いちごの観光農園、酒造りが行われています。大阪方面のベッドタウンとしても発展しました。
特産品・名産
- 名張牛汁名張の名物料理
- 日本酒市内に複数の酒蔵がある
- ぶどう・いちご青蓮寺湖周辺の観光農園で栽培
見どころ・祭り
- 赤目四十八滝室生赤目青山国定公園の渓谷
- 香落渓渓谷の景勝地
- 青蓮寺湖青蓮寺ダムのダム湖
- 美旗古墳群1978年に国の史跡に指定
- 隠(なばり)街道市11月上旬に開かれる催し
木モミジ花キキョウ鳥ウグイス名張市の木・花・鳥
名張市のなりたち
名張市(なばりし)は、三重県伊賀地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。薦原村・蔵持村・美濃波多村・比奈知村・錦生村・箕曲村・国津村・滝川村・古山村・名張町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の名張市になりました。
今の名前「名張市」は、1920年にあった名張町の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は名賀郡に属していました。
「名張市」という名前
「名張」は古くは「隠」と書いて「なばり」と読まれたことがあり、毎年11月の「隠(なばり)街道市」にその字が残っています。「なばり」という言葉そのものの語源を確かめられる資料は見つかっていません。
まちの成り立ち
名張は万葉の昔から宿駅として開け、壬申の乱では大海人皇子(のちの天武天皇)が東国へ向かう途中にここを通りました。中世には東大寺の荘園で、「黒田の悪党」と呼ばれる勢力が現れた土地としても知られます。1889年(明治22年)の町村制で、名張郡に名張町と7つの村が、伊賀郡に美濃波多村・古山村などができ、1896年(明治29年)に両郡は名賀郡となりました。1942年(昭和17年)に蔵持村・薦原村・箕曲村が名張町に編入されましたが、旧箕曲村の地域は1949年(昭和24年)に名張町から分かれて、再び箕曲村となりました。1951年(昭和26年)には美濃波多村・比奈知村・錦生村が名張町に加わり、1954年(昭和29年)3月31日、名張町・滝川村・箕曲村・国津村が合併して名張市が生まれました。1957年(昭和32年)には古山村のうち大字南が名張市に入っています。2003年(平成15年)には伊賀地域の市町村との合併の是非を住民投票で問い、反対が多数となったため合併協議会を離れ、名張市のまま今に至ります。1965年(昭和40年)に桔梗が丘団地の入居が始まるなど、大阪方面のベッドタウンとして発展しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、名張郡に名張町・蔵持村・薦原村・錦生村・滝川村・箕曲村・比奈知村・国津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、伊賀郡に美濃波多村・古山村が発足した(古山村は一部が現在の名張市域)。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年名張郡と伊賀郡の区域で名賀郡が発足し、各町村は名賀郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1942年5月5日昭和17年名賀郡蔵持村・薦原村・箕曲村が名張町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1949年8月1日昭和24年名張町の一部(夏見・中村・瀬古口・青蓮寺・中知山)が分立して、再び箕曲村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年名賀郡美濃波多村・比奈知村・錦生村が名張町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年名賀郡の名張町・滝川村・箕曲村・国津村が合併し、市制を敷いて名張市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年7月1日昭和32年名賀郡古山村が分割され、大字南が名張市に、残りが上野市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。