今の熊野市
三重県の南部、熊野灘に面し、和歌山県との県境に近い市です。七里御浜の東端に市街地があり、吉野熊野国立公園の一部として、鬼ヶ城や獅子岩などの海岸景勝が続きます。北山川流域の山あいには、丸山千枚田で知られる旧紀和町地域が広がります。古くから熊野地方の行政の中心で、新宮市など和歌山県東部との結びつきも強く、海・山・川の自然とみかん、干物などの産物に恵まれたまちです。
今の熊野市の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,965人です。今の区域で数えた1980年の28,720人とくらべると44.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.7%です。
主な産業:みかん栽培や水産業、林業が営まれ、鬼ヶ城や丸山千枚田、熊野大花火大会などの観光も盛んです。
特産品・名産
- 那智黒石碁石などに加工される黒い石。神川町が産地
- めはり寿司高菜の葉で包んだ握り飯
- さんま寿司さんまを使った郷土料理
- みかん県の市町要覧で名産・特産品として挙げられる
- 熊野地どり地域の地鶏
見どころ・祭り
- 鬼ヶ城熊野灘に面した海岸の景勝地
- 七里御浜・獅子岩市街地から南西へ続く砂利浜と、浜に立つ奇岩
- 丸山千枚田日本の棚田百選。旧紀和町
- 熊野大花火大会8月17日。300年の歴史があるとされる
- 湯ノ口温泉旧紀和町の温泉
木スギ(熊野杉)花ササユリ鳥ウグイス熊野市の木・花・鳥
熊野市のなりたち
熊野市(くまのし)は、三重県東紀州地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。五郷村・神川村・飛鳥村・荒坂村・新鹿村・有井村・泊村・木本町・西山村・入鹿村・上川村・神志山村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の熊野市になりました。
今の名前「熊野市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの12の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の飛鳥村が約61km²だったのに対し、今の熊野市は約364km²と、およそ5.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南牟婁郡に属していました。
「熊野市」という名前
「熊野」は、もともと三重県南部から和歌山県南部にまたがる地域の名前です。1954年(昭和29年)に市名を決めたときには、地域全体の名を一つの市が名乗ることに、新宮市など和歌山県側から多くの反対があったといいます。「熊野」という言葉そのものの語源を確かめられる資料は見つかっていません。
まちの成り立ち
熊野市の中心の木本は、古くから栄えた町で、今も熊野地方を受け持つ官公庁が多く集まっています。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、南牟婁郡に木本町と周りの村々ができ、1897年(明治30年)には木本町から古泊・大泊が分かれて泊村となりました。1954年(昭和29年)11月3日、木本町・荒坂村・新鹿村・泊村・有井村・神川村・五郷村・飛鳥村の1町7村が合併して熊野市が発足しました。翌1955年(昭和30年)3月1日には、北山川沿いの上川村・入鹿村・西山村が合併して紀和町が生まれています。1957年(昭和32年)10月20日には、神志山村のうち久生屋と金山が熊野市に加わりました(神志山村の残りは翌年、御浜町の一部になりました)。2005年(平成17年)11月1日、熊野市と紀和町が合併して今の熊野市になりました。旧紀和町の区域は、今も「紀和町」を冠した地名として残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南牟婁郡に木本町・荒坂村・新鹿村・有井村・神川村・五郷村・飛鳥村・上川村・入鹿村・西山村と神志山村(一部が現在の熊野市域)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年5月31日明治30年南牟婁郡木本町の一部(古泊・大泊)が分立して泊村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年南牟婁郡の木本町・荒坂村・新鹿村・泊村・有井村・神川村・五郷村・飛鳥村が合併し、市制を敷いて熊野市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年南牟婁郡の上川村・入鹿村・西山村が合併して紀和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年10月20日昭和32年南牟婁郡神志山村の一部(久生屋・金山)が熊野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年11月1日平成17年熊野市と南牟婁郡紀和町が合併して、新しい熊野市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。