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川越町かわごえちょう

川越町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の川越町

三重県の北部、三重郡にある町で、県内では朝日町に次いで面積が小さく、可住地の割合が高い平坦な町です。町の中ほどを朝明川が流れ、伊勢湾に面した低地は江戸時代の新田開発で広がりました。北は桑名市と朝日町、南は四日市市に接します。火力発電所や伊勢湾岸自動車道のインターチェンジがあり、名古屋圏と四日市を結ぶ工業と住宅のまちです。

今の川越町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,123人です。今の区域で数えた1980年の10,645人とくらべると42.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は18.9%です。

15,123人人口(2020年)
+42.1%1980年からの増減
8.72km²面積(国土地理院)
1,734人/km²人口密度
18.9%65歳以上の割合
15,1231980199020052020
15歳未満 14.4%15〜64歳 66.7%65歳以上 18.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:JERAの川越火力発電所やチヨダウーテ(石膏ボード)などの工場が立地しています。

見どころ・祭り

  • 川越電力館テラ46川越火力発電所に併設された電力の展示施設
  • 法雲寺南福崎の寺。1711年に移されて本堂が完成した
  • 川越緑地公園町内の公園

木クロガネモチ花スイセン鳥ツバメ川越町の木・花・鳥

川越町のなりたち

川越町(かわごえちょう)は、三重県北勢地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに川越村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は三重郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
9km²今の面積

「川越町」という名前

町の中ほどを朝明川が流れており、川の北側の豊田一色村・南福崎村・北福崎村などと、南側の豊田村・高松村が、文字どおり川を越えて一つの村になったことから「川越村」と名づけられたとされます。埼玉県の川越市と同じ字ですが、関係はありません。

まちの成り立ち

川越町の面積のおよそ半分は、江戸時代、桑名藩領だったころに新田開発で生まれた伊勢湾の干拓地です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、朝明郡の豊田一色村・南福崎村・北福崎村・高松村・豊田村と、亀崎新田・亀尾新田・亀須新田、それに当新田と縄生村の一部があわさって川越村が発足しました。1896年(明治29年)に朝明郡と三重郡が一つになり、所属は三重郡に変わりました。隣の朝日町の町史によると、1957年(昭和32年)3月に三重県から朝日町との合併を勧められましたが、村内の賛否がまとまらず実現しなかったといいます。1961年(昭和36年)5月1日、川越村は町制を施行して川越町となりました。その後も合併はせず、単独の町として続いています。町内には川越火力発電所や伊勢湾岸自動車道のみえ川越インターチェンジがあります。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、朝明郡の豊田一色村・南福崎村・亀崎新田・亀尾新田・亀須新田・北福崎村・高松村・豊田村と当新田・縄生村の各一部の区域で川越村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年三重郡と朝明郡の区域で新たな三重郡が発足し、川越村は三重郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1961年5月1日昭和36年三重郡川越村が町制を施行して川越町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1961年11月27日昭和36年朝日町の一部(新当新田・新縄生)が川越町に、川越町の一部(川越当新田・川越縄生)が朝日町にそれぞれ編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

川越村→川越町1889〜今

参考にした資料