今の朝日町
三重県の北部、三重郡に属する町で、県内で最も面積の小さい市町村です。北は桑名市、南東は川越町、南西は四日市市に接します。北西部を丘陵が占め、南東には低地が広がり、丘陵をはさんで北に員弁川(町屋川)、南に朝明川が流れます。旧東海道の小向に近鉄とJRの駅があり、名古屋と四日市のあいだに位置する住宅と工業のまちです。
今の朝日町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,021人です。今の区域で数えた1980年の6,851人とくらべると60.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.2%です。
主な産業:名古屋と四日市のあいだにあり、東芝の工場などが立地する工業と住宅のまちです。タオルやみかん、たけのこが特産品として挙げられます。
特産品・名産
- タオル・みかん・たけのこ県の市町要覧で名産・特産品として挙げられる
見どころ・祭り
- 縄生廃寺跡(金光寺跡)三重県指定史跡。出土した舎利具は国の重要文化財
- 橘守部出生地跡国学者の生誕地として三重県の史跡に指定
- 朝日町歴史博物館1997年開館。町の歴史を紹介
- 朝日町資料館(旧朝日村役場)国の登録有形文化財
- 八王子祭8月13日に行われる祭り
木白梅花ヒマワリ鳥ウグイス朝日町の木・花・鳥
朝日町のなりたち
朝日町(あさひちょう)は、三重県北勢地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに朝日村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は三重郡に属していました。
「朝日町」という名前
1889年(明治22年)の町村制で縄生・小向・柿・埋縄の4か村をまとめる際、郡長は「山添村」、村の担当者たちは「朝明村」を考えました。しかし「朝明」は郡の名と同じだとして認められませんでした。そこで、天武天皇がこのあたりで朝日を拝んだという故事にちなんで「朝日村」として申請し、許可されたと町史は伝えています。
まちの成り立ち
朝日町は、1889年(明治22年)4月1日の町村制で、朝明郡の小向村・柿村・埋縄村と、当新田・縄生村の一部をあわせて朝日村として発足しました。1896年(明治29年)に朝明郡と三重郡が一つになり、所属は三重郡に変わりました。昭和の大合併の時期には合併をせず、人口が5千人を超えていたことから、1954年(昭和29年)10月17日に町制を施行して朝日町となりました。1957年(昭和32年)3月には三重県から川越村との合併を勧められましたが、川越村の中で賛否がまとまらず、実現しませんでした。平成の大合併では、2002年(平成14年)に四日市市などとの合併研究会に加わったものの、翌年に退会し、単独の町として今に至ります。三重県で最も面積の小さい市町村で、旧村名の小向・柿・埋縄・縄生は今も地区名として残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、朝明郡の小向村・柿村・埋縄村と当新田・縄生村の各一部の区域で朝日村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年三重郡と朝明郡の区域で新たな三重郡が発足し、朝日村は三重郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年10月17日昭和29年三重郡朝日村が町制を施行して朝日町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1961年11月27日昭和36年朝日町の一部(新当新田・新縄生)が川越町に、川越町の一部(川越当新田・川越縄生)が朝日町にそれぞれ編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。