今の川北町
石川県の南西部にある能美郡の町で、加賀平野のほぼ中央、手取川の右岸にあります。東西に細長い形で、北は白山市、南は能美市に接します。手取川の水が何度もあふれ、人々は氾濫を避けた小高い丘に集落をつくってきました。手取川の豊かな伏流水を使う電子部品の工場が立地しています。特産品には、いちじくや加賀雁皮紙があります。
今の川北町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,135人です。今の区域で数えた1980年の4,256人とくらべると44.1%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は23.6%です。
主な産業:電子部品などの工場が立地し、いちじく・しいたけなどの農業も営まれます。
特産品・名産
- いちじく町の特産品の一つ
- 加賀雁皮紙町に伝わる手すきの和紙
- しいたけ町の特産品の一つ
見どころ・祭り
- 手取の火祭り高さ45メートルのかがり火をたく夏の祭り
- 川北温泉ふれあい健康センターの温泉
- 手取川右岸の桜並木堤防沿いの桜並木
木ケヤキ花カワラナデシコ鳥ヒバリ川北町の木・花・鳥
川北町のなりたち
川北町(かわきたまち)は、石川県加賀地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では川北村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は能美郡に属していました。
「川北町」という名前
「川北」という名前は、手取川の北側にあることにちなむと考えられます。町は加賀平野のほぼ中ほど、手取川の右岸(北側)に東西に細長く広がっています。手取川は白山を源とする石川県で最大の川で、町章の「川」の字もこの川を表しています。1907年(明治40年)に三つの村が合併して川北村が生まれ、その名前が今の町に受け継がれています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、能美郡に中島村・草深村・砂川村が生まれました。1907年(明治40年)8月5日、この三つの村が合併して川北村が発足しました。
町のあたりは、昔から手取川の氾濫に何度も悩まされてきました。人々は水につかりにくい小高い所に集落をつくり、そのため「島」の付く地名が多く残っています。
昭和の大合併のころには、川北村を三つに分け、東部の中島地区を鶴来町へ、中央部を松任町へ、西部の橘地区を美川町へ加える計画がありました。しかし調印の直前に分割合併は取りやめになり、村はそのまま続きました。平成の大合併でも、ほかの市町村とは合併していません。
1980年(昭和55年)4月1日、県の町制施行の基準が変わったことを受けて町制を施行し、川北町となりました。町制施行のあとは企業の誘致が進み、手取川の伏流水を生かした電子部品の工場などが立地しました。毎年夏には高さ45メートルのかがり火をたく「手取の火祭り」が開かれます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、能美郡に中島村・草深村・砂川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1907年8月5日明治40年能美郡の中島村・草深村・砂川村が合併し、川北村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1980年4月1日昭和55年能美郡川北村が町制を施行し、川北町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。