今の穴水町
石川県の能登半島の中央にある町で、鳳珠郡に属します。北と西は丘陵地、南は七尾北湾、東は富山湾に面します。丘陵が風をさえぎるため、冬の降雪の割には穏やかとされます。古くから交通の要所で、商店街は約1キロ続き、能登では有数の商業地です。湾ではカキの養殖や古い漁法のボラ待ちやぐらが見られます。星空がきれいな町としても知られます。
今の穴水町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,890人です。今の区域で数えた1980年の14,044人とくらべると43.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は49.5%です。
主な産業:農林水産業が主で、スイカ・栗などの農産物とカキなどの水産物が特産です。
特産品・名産
- カキ湾で養殖される牡蠣
- ナマコナマコと、このわたなどの加工品
- スイカ農産物の特産品の一つ
見どころ・祭り
- 明泉寺石造五重塔は国の重要文化財
- ボラ待ちやぐら古くからの漁法を伝えるやぐら
- 穴水城跡町指定の史跡
- 道の駅あなみず町の道の駅
木アテ花ササユリ鳥キジ穴水町の木・花・鳥
穴水町のなりたち
穴水町(あなみずまち)は、石川県能登地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。中居村・南北村・兜村・諸橋村・穴水町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の穴水町になりました。
今の名前「穴水町」は、1920年にあった穴水町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の穴水町が約94km²だったのに対し、今の穴水町は約186km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は鳳珠郡・鳳至郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、鳳至郡は2005年(平成17年)3月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中居村の区域には中居駅(のと鉄道 能登線)があります。
「穴水町」という名前
「穴水」はとても古い地名で、平安時代の歴史書『日本後紀』によると、808年にはすでにこの名前があったことがわかります。名前の由来には、かれずにわき出る泉にちなむとする説などがありますが、はっきりしていません。町には、飛鳥時代に建てられたと伝わる明泉寺や、平安時代の来迎寺など、古い寺も残っています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、鳳至郡に穴水村とまわりの村々が生まれました。穴水村は1903年(明治36年)に町制を施行して穴水町となり、1908年には島崎村・東保村と合併して新しい穴水町になりました。
1933年(昭和8年)7月1日には、中居村と南北村が合併して住吉村が生まれています。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)3月31日に穴水町・住吉村・兜村が合併し、新しい穴水町が発足しました。翌1955年3月10日には諸橋村を編入し、今の町の形になりました。
2005年(平成17年)3月1日、鳳至郡がなくなり、穴水町は門前町・能登町とともに新しくできた鳳珠郡に属しました。町は能登半島の中ほどにあり、穴水湾ではカキの養殖が行われています。鎌倉時代には長谷部信連が穴水城を築きました。2003年に開港した能登空港は、滑走路の大部分が町内にあります。2024年の能登半島地震では大きな被害を受けました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、鳳至郡に穴水村・東保村・島崎村・諸橋村・兜村・中居村・南北村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1903年8月22日明治36年鳳至郡穴水村が町制を施行し、穴水町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1908年4月1日明治41年鳳至郡の穴水町・島崎村・東保村が合併し、新たに穴水町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1933年7月1日昭和8年鳳至郡の中居村・南北村が合併し、住吉村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年鳳至郡の穴水町・住吉村・兜村が合併し、新たに穴水町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月10日昭和30年鳳至郡諸橋村が穴水町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年3月1日平成17年鳳至郡がなくなり、穴水町は新たに置かれた鳳珠郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。