今の留萌市
留萌振興局の南部、日本海に面する市で、留萌地方の中心都市です。夕日の名所として知られる黄金岬があります。主な産業は貿易などの商業、土木業、水産加工業です。留萌港では今もニシンが水揚げされ、その魚卵のカズノコは国内最大の加工地とされています。市内には留萌市海のふるさと館と、国の史跡の旧留萌佐賀家漁場があります。
今の留萌市の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,114人です。今の区域で数えた1980年の36,626人とくらべると45.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.8%です。
主な産業:水産加工業、商業、貿易、土木業が主な産業です。
特産品・名産
- 数の子ニシンの卵。国内最大の加工地
- ニシン糠漬けや身欠きニシンなど
- にしんそばニシンを使ったそば
見どころ・祭り
- 黄金岬夕陽の名所
- 旧留萌佐賀家漁場国の史跡
- 留萌市海のふるさと館留萌の海や漁の歴史を展示
- 千望台市内を一望できる高台
- 神居岩温泉市内の温泉
木アカシア花ツツジ留萌市の木・花
留萌市のなりたち
留萌市(るもいし)は、北海道留萌地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに留萌町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は留萌郡に属していました。
「留萌市」という名前
「留萌」は、今の留萌川を指すアイヌ語の「ルルモッペ」に由来します。ルルは汐、モは静か、ヲッはある、ペは水のことで、「汐が奥深く入る川」という意味とされ、市もこの説を示しています。このほか、「静かな湖水」を意味するとする解釈もあります。川の名が地域の名となり、1902年(明治35年)に留萌村、1908年(明治41年)に留萌町、1947年(昭和22年)に留萌市になりました。
まちの成り立ち
留萌では、江戸時代の後期に松前の村山伝兵衛が漁業を営み、次いで栖原屋角兵衛が漁場を開いてから、和人の移住が増えました。1877年(明治10年)に留萌外2村戸長役場が置かれ、1902年(明治35年)4月1日に二級町村制が施行されて留萌村となりました。1907年(明治40年)4月1日には三泊村を併せて一級町村制を施行し、翌1908年(明治41年)6月12日に町制を施行して留萌町になりました。1919年(大正8年)7月1日には、南の小平蘂村(今の小平町)が分かれています。明治の終わりまではニシン漁が町を支えていましたが、大正のころから周りで炭鉱の開発が進み、留萌港は石炭の積み出し港として栄えました。1947年(昭和22年)10月1日に市制を施行して留萌市になりました。ニシンが獲れなくなってからは、水産加工業や港を使った商業がまちの経済を支え、数の子の加工で知られるようになりました。
年表
- 1902年4月1日明治35年留萌郡の留萌村が礼受村を併せ、二級町村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1907年4月1日明治40年留萌村が三泊村を併せ、一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1908年6月12日明治41年留萌村が町制を施行し、留萌町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1919年7月1日大正8年留萌町から小平蘂村が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1947年10月1日昭和22年留萌町が市制を施行し、留萌市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。