今の国見町
福島県の中通り北部にあり、伊達郡に属する町です。西の端に半田山や馬頭山があり、そこから続く山地が宮城県との県境になっています。東北本線や国道4号が通ります。桃やあんぽ柿などの果樹の産物で知られます。奥州合戦の舞台になった阿津賀志山に、国の史跡の阿津賀志山防塁が残ります。1954年に5つの町村が合併して生まれた町です。
今の国見町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,639人です。今の区域で数えた1980年の12,050人とくらべると28.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.2%です。
主な産業:桃やあんぽ柿など、果樹を中心とした農業が営まれています。
特産品・名産
- 桃町の特産。もも大福などにも使われる
- あんぽ柿渋柿を燻蒸してから乾かした干し柿
見どころ・祭り
- 阿津賀志山防塁奥州合戦のときに築かれた防塁。国の史跡
- 石母田供養石塔国の史跡
- 奥山家住宅登録有形文化財
- 道の駅国見 あつかしの郷町の道の駅
木アカマツ花モモ鳥ウグイス国見町の木・花・鳥
国見町のなりたち
国見町(くにみまち)は、福島県県北地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。大木戸村・大枝村・藤田町・小坂村・森江野村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の国見町になりました。
今の名前「国見町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の小坂村が約13km²だったのに対し、今の国見町は約39km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は伊達郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧藤田町の区域には藤田駅(東北本線)があります。
「国見町」という名前
国見町の名の由来は、はっきりしていません。1954年(昭和29年)3月31日に、伊達郡の藤田町・小坂村・森江野村・大木戸村・大枝村が合併して、国見町が発足しました。合併前のどの町村の名とも異なる新しい名です。町内の厚樫山(阿津賀志山)は、奥州合戦のころには国見山とも呼ばれていました。
まちの成り立ち
福島県の中通り北部にあり、伊達郡に属する町です。町の西の端には半田山や馬頭山があり、そこから続く山地が、北の宮城県との県境になっています。1189年(文治5年)の奥州合戦では、この地の阿津賀志山の麓に奥州藤原氏の守りの線が張られ、戦いの場になりました。そのとき築かれた阿津賀志山防塁が国の史跡として残ります。1889年(明治22年)の町村制で、この地域には藤田村・大木戸村・大枝村・小坂村・森江野村が発足し、藤田村はのちに町制を施行して藤田町となりました。昭和の大合併では、1954年(昭和29年)3月31日に、藤田町・小坂村・森江野村・大木戸村・大枝村が合併して、伊達郡国見町が発足しました。その後、旧大枝村のうち東大枝の地区では住民運動が起こり、同じ年に東大枝だけが梁川町(現在の伊達市)に移りました。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、町内で震度6強を観測し、旧庁舎が被災しました。2015年に新しい庁舎が完成しました。町では、桃やあんぽ柿などの果樹の産物がつくられています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、伊達郡に藤田村・小坂村・森江野村・大木戸村・大枝村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1911年11月10日明治44年藤田村が町制を施行し、藤田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年藤田町・小坂村・大木戸村・森江野村・大枝村が合併し、国見町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年7月6日昭和29年国見町の一部(旧大枝村の東大枝)が梁川町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。