今の広野町
福島県浜通りの南部にある双葉郡の町で、東は太平洋に面しています。北迫川や浅見川などが流れ、五社山などの低い山があります。冬でも雪が少ない温暖な気候で、「東北に春を告げる町」を名乗っています。江戸時代は浜街道の広野宿として栄えました。サッカーのナショナルトレーニングセンターのJヴィレッジや、火力発電所が町内にあります。
今の広野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で5,412人です。今の区域で数えた1980年の5,335人とくらべると1.4%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.8%です。
主な産業:火力発電所とサッカー施設のJヴィレッジがあり、農業ではみかんなどを育てています。
特産品・名産
- みかん温暖な気候で育ち、果汁100%ジュースにも
- 無農薬バナナ「綺麗」東北ではめずらしいバナナ
- ひろの米特別栽培米のコシヒカリ
見どころ・祭り
- Jヴィレッジサッカーのナショナルトレーニングセンター
- 奥州日の出の松日本三大松のひとつといわれる
- 二ツ沼総合公園町民が憩う公園で直売所もある
- 高倉城跡岩城氏の家臣・猪狩氏の居城跡
木サクラ花ヤマユリ鳥メジロ広野町の木・花・鳥
広野町のなりたち
広野町(ひろのまち)は、福島県相双地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに広野村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は双葉郡に属していました。
「広野町」という名前
町名は、1889年(明治22年)4月1日の町村制で生まれた楢葉郡広野村の名を受けついでいます。広野村は1940年(昭和15年)4月1日に町制を施行して広野町となりました。「広野」という地名そのものの由来ははっきりしていません。町は浜通りの南部にあり、江戸時代には浜街道の広野宿が置かれていました。
まちの成り立ち
福島県浜通りの双葉郡にある町です。7世紀前半は石城国造の領土、7世紀の半ばには多珂国の領土だったとされます。戦国時代までは岩城氏の領内、江戸時代は磐城平藩の領内で、浜街道の広野宿という宿場町として栄えました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で楢葉郡広野村が生まれ、1896年(明治29年)4月1日に楢葉郡と標葉郡の区域から双葉郡ができると、その一部になりました。1940年(昭和15年)4月1日に町制を施行して広野町となり、その後は合併をせず今に至っています。
1980年(昭和55年)に広野火力発電所の1号機が営業運転を始め、1997年(平成9年)にはサッカーのJヴィレッジが開業しました。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、町内で震度6弱を観測しました。東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、町の全域が緊急時避難準備区域となり、町民が避難しました。この区域は2011年9月30日に解除されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、楢葉郡広野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年楢葉郡(川前村を除く)と標葉郡の区域から双葉郡が発足し、広野村は双葉郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1940年4月1日昭和15年双葉郡広野村が町制を施行し、広野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。