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大治町おおはるちょう

大治町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の大治町

愛知県の西部、海部郡にある町で、東は名古屋市に接します。庄内川の河川敷公園があり、町内は平坦な地形です。面積は県内の町村でも小さい部類ですが、名古屋市のベッドタウンとして住宅地やマンションが増え、人口密度は東海地方で名古屋市に次ぐ高さです。鉄道は通っていませんが、名古屋市営バスや名鉄バスが多く乗り入れ、名古屋駅や栄にも行けます。

今の大治町の区域の人口は、2020年の国勢調査で32,399人です。今の区域で数えた1980年の19,939人とくらべると62.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は21.2%です。

32,399人人口(2020年)
+62.5%1980年からの増減
6.59km²面積(国土地理院)
4,916人/km²人口密度
21.2%65歳以上の割合
32,3991980199020052020
15歳未満 15.6%15〜64歳 63.2%65歳以上 21.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:名古屋のベッドタウン。農業では赤紫蘇などを栽培。

特産品・名産

  • 赤紫蘇町の特産品の一つ。町のキャラクター「はるちゃん」のモチーフ
  • モロヘイヤ町の特産品のひとつ

見どころ・祭り

  • 明眼院日本最初の眼科医療施設とされる
  • 大治町歴史民俗資料室町内の観光スポットとして紹介
  • 庄内川河川敷公園庄内川沿いの公園
  • 新大正橋庄内川に架かる橋

木センダン花サツキ大治町の木・花

大治町のなりたち

大治町(おおはるちょう)は、愛知県尾張地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに大治村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は海部郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
7km²今の面積

「大治町」という名前

「大治」は「大いに治まる」という意味をもつ、縁起のよい瑞祥地名とされています。1889年(明治22年)に12の村が合併して村が生まれたときに付けられた名で、旧村名のいずれとも異なる新しい名前です。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、海東郡の鎌須賀・北間島・三本木・砂子・中島・長牧・西條・花常・東條・堀之内・馬島・八ツ屋の12か村が合併し、大治村が発足しました。12の旧村名は、今も町内の大字として残っています。1913年(大正2年)7月1日に海東郡と海西郡が一つになって海部郡が生まれ、大治村は海部郡に属することになりました。昭和の大合併でも周りの町村とは合併せず、1975年(昭和50年)4月1日に町制を施行して大治町となります。平成の大合併の時期には、2008年(平成20年)5月に七宝町・美和町・甚目寺町と「海部郡東部四町合併研究会」を設けましたが、同年11月に大治町が離脱して研究会は解散し、残る3町はのちにあま市となりました。大治町は今も単独の町として続いています。町内に鉄道は通っていませんが、名古屋市に接する立地からベッドタウンとして人口が増え、人口密度は東海地方で名古屋市に次ぐ高さです。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、海東郡の鎌須賀村・北間島村・三本木村・砂子村・中島村・長牧村・西條村・花常村・東條村・堀之内村・馬島村・八ツ屋村の12か村が合併し、大治村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1913年7月1日大正2年海東郡と海西郡の区域が海部郡となり、大治村は海部郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1975年4月1日昭和50年大治村が町制を施行し、大治町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

大治村→大治町1889〜今

参考にした資料