合戦絵巻 ─ 三十年戦争 勢力図

白山の戦い

1620年11月8日 / ボヘミア(いまのチェコ) プラハの西

11月8日 朝

丘の上の反乱軍

1粒=約100人

1620年11月8日、プラハの西の白山(ビーラー・ホラ)の台地で、ボヘミアのプロテスタントの反乱軍が、神聖ローマ皇帝とカトリック連盟の軍に敗れた。戦いは1時間ほどで終わった。三十年戦争の最初の大きな戦いで、ボヘミアは皇帝の支配に戻り、チェコ人にとって長い「暗黒時代」の始まりとして記憶されている。

上の観戦プレイヤーでは、皇帝軍・カトリック連盟軍約2.7万とボヘミア反乱軍約2.1万、あわせて約4.8万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの5つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

皇帝軍・カトリック連盟軍
約2.7万
ボヘミア反乱軍
約2.1万
いつ
11月8日 朝 → 結果

なぜ戦ったのか

16世紀の宗教改革のあと、神聖ローマ帝国(いまのドイツを中心とする国々)では、カトリックとプロテスタントの対立が続いていた。ボヘミア(いまのチェコ)には、プロテスタントの貴族が多かった。

1618年、カトリックの信仰を強めようとする皇帝の代官を、プラハ城の窓から投げ落とす事件が起きた(プラハ窓外放出事件)。ボヘミアの貴族は反乱を起こし、カトリックのフェルディナント2世を王と認めず、プロテスタントのプファルツ選帝侯フリードリヒ5世を新しい王に迎えた。これが三十年戦争の始まりである。

皇帝フェルディナント2世は、カトリック連盟を率いるバイエルン公マクシミリアンと手を組み、ティリーとビュコワの軍をボヘミアに送った。1620年11月、両軍はプラハの手前で向かい合った。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

111月8日 朝

丘の上の反乱軍

ボヘミア軍は、プラハの西の白山の台地に陣を敷いた。兵の給料は払われておらず、士気は低かった。国王フリードリヒ5世はプラハ城で昼食をとっていた。

2昼ごろ

霧の中の前進

朝霧が晴れかけたころ、皇帝軍とカトリック連盟軍が斜面を登り始めた。従軍していたカルメル会の修道士は、傷つけられた聖母の絵を掲げて兵を励ましたという。

3昼

反乱軍の崩壊

ボヘミア軍の騎兵の反撃はすぐに押し返され、ハンガリーの騎兵とモラヴィアの歩兵は逃げ出した。星の城の囲いの中で戦い続けたモラヴィア兵も討たれた。戦いは1時間ほどで終わった。

4午後

王の逃亡

フリードリヒ5世は、翌日には家族とともにプラハを逃れた。国王の冠を置き忘れたという。

5結果

白山の戦いの結果

ボヘミアは皇帝の支配下に戻った。翌年、反乱の指導者27人がプラハの旧市街広場で処刑され、プロテスタントの貴族の土地は取り上げられた。チェコ人にとって、この敗北は長い「暗黒時代」の始まりとして記憶されている。

勝敗を分けたもの

給料のない兵

ボヘミアの反乱軍は、兵の給料が払われておらず、士気が低かった。雇われた兵の多くは、自分の国のために戦う気持ちを持っていなかった。

騎兵の崩れ

皇帝軍が斜面を登ってくると、ボヘミア軍の騎兵の反撃はすぐに押し返され、ハンガリーの騎兵は逃げ出した。崩れが広がり、戦いは1時間ほどで決した。

王の不在

国王フリードリヒ5世は、戦いの最中もプラハ城で昼食をとっていたと伝わる。指導者のいない反乱軍は、まとまって戦うことができなかった。

主な武将とその後

フリードリヒ5世ボヘミア反乱軍

プファルツ選帝侯で、ボヘミア王に迎えられた。ひと冬しか王位にいられなかったことから「冬の王」と呼ばれた。敗れてオランダへ亡命した。

ティリー皇帝軍・カトリック連盟軍

カトリック連盟軍の司令官。敬虔な信仰から「鎧を着た修道士」と呼ばれた。この後も勝ち続けたが、1631年、ブライテンフェルトでスウェーデン王に敗れる。

フェルディナント2世皇帝軍・カトリック連盟軍

神聖ローマ皇帝。熱心なカトリックで、ボヘミアをカトリックの国に戻そうとした。

合戦のあと

1621年、反乱の指導者27人がプラハの旧市街広場で処刑された。プロテスタントの貴族の土地は取り上げられ、多くの人がボヘミアを去った。チェコ語の文化も衰え、ボヘミアは300年近く、独立を失ったままになった。

戦争はボヘミアだけでは終わらなかった。プロテスタントの国々が皇帝の力が強まるのを恐れて次々に加わり、戦いはドイツ全土に広がっていく。

諸説と論点

「暗黒時代」という見方

白山の戦いのあとの時代を、チェコの人々は長く「暗黒時代」と呼んできた。一方で、この時代にはバロック様式の美しい教会や建物が数多く造られ、近年は文化の面での見直しも進んでいる。

関連年表

1618年5月プラハ窓外放出事件。三十年戦争が始まる
1619年ボヘミアの貴族がフリードリヒ5世を王に迎える
1620年11月8日白山の戦い
1621年6月反乱の指導者27人がプラハで処刑される
1625年デンマークが参戦
1648年ウェストファリア条約。三十年戦争が終わる

両軍の陣容

皇帝軍・カトリック連盟軍約2.7万

部隊兵力その後
カトリック連盟軍(ティリー)約12,000
皇帝軍(ビュコワ)約1万
皇帝騎兵約5,000

ボヘミア反乱軍約2.1万

部隊兵力その後
星の城(狩猟館)狩猟館
ボヘミア軍(アンハルト侯)約1万損害
ハンガリー・モラヴィア兵約6,000損害
ボヘミア騎兵約5,000損害
プラハ(冬の王フリードリヒ5世)降伏

決め手

反乱軍の崩壊

ボヘミア軍の騎兵の反撃はすぐに押し返され、ハンガリーの騎兵とモラヴィアの歩兵は逃げ出した。星の城の囲いの中で戦い続けたモラヴィア兵も討たれた。戦いは1時間ほどで終わった。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「三十年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:C・V・ウェッジウッド『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)、菊池良生『戦うハプスブルク家』(講談社現代新書)