合戦絵巻 ─ 三十年戦争 勢力図

ネルトリンゲンの戦い

1634年9月6日 / 南ドイツ(バイエルン) ネルトリンゲン

9月5日

町を救うために

1粒=約100人

1634年9月6日、南ドイツのネルトリンゲンで、スウェーデン軍が、皇帝・スペインの連合軍に大敗した。スウェーデン軍は丘の上のスペイン軍の陣地を15回も攻めたが、スペインの大方陣(テルシオ)は崩れなかった。この敗北でスウェーデンは南ドイツを失い、危機を見たフランスがついに自ら戦争に加わることになった。

上の観戦プレイヤーでは、皇帝・バイエルン軍(フェルディナント王子)約2.5万とスペイン軍(枢機卿王子フェルナンド)約6,000とスウェーデン軍(ホルン・ベルンハルト)約2.4万、あわせて約5.5万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの4つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

皇帝・バイエルン軍(フェルディナント王子)
約2.5万
スペイン軍(枢機卿王子フェルナンド)
約6,000
スウェーデン軍(ホルン・ベルンハルト)
約2.4万
いつ
9月5日 → 結果

なぜ戦ったのか

1632年のリュッツェンの戦いでグスタフ・アドルフが戦死したあとも、スウェーデン軍はホルンとベルンハルトの指揮でドイツで戦い続けていた。

1634年、皇帝の息子フェルディナント(のちの皇帝フェルディナント3世)と、スペインから来たいとこのフェルナンド(枢機卿王子)の大軍が、プロテスタントの町ネルトリンゲンを囲んだ。

ホルンとベルンハルトは、数で劣ることを知りながら、町を救うために戦いを挑んだ。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

19月5日

町を救うために

皇帝の息子フェルディナントとスペインから来たいとこのフェルナンドの大軍が、プロテスタントの町ネルトリンゲンを包囲した。ホルンとベルンハルトは数で劣るのを知りながら、町を救うために戦いを挑んだ。

29月6日 朝

丘への攻撃

ホルンは丘の上のスペイン軍の陣地を攻めた。スペインのテルシオは、槍の壁と銃兵の交代射撃で、スウェーデン軍の攻撃を15回もはね返した。スウェーデン軍の中で味方どうしの撃ち合いも起きた。

3昼

反撃

ホルンが退こうとしたとき、皇帝軍の騎兵がベルンハルトの隊を破り、スウェーデン軍は総崩れとなった。

4結果

ネルトリンゲンの戦いの結果

スウェーデン軍は約1万2000人が死に、ホルンは捕虜となった。南ドイツはカトリック側に戻り、翌年、多くのプロテスタント諸侯が皇帝と和解した(プラハの和約)。この危機を見て、フランスがついに自ら参戦した。

勝敗を分けたもの

テルシオの守り

スペインのテルシオは、槍兵が壁をつくり、そのまわりの銃兵が交代で撃ち続ける大きな方陣だった。丘の上の陣地に立てこもったテルシオは、スウェーデン軍の攻撃を15回もはね返した。

数の差

皇帝・スペイン軍は約3万3000、スウェーデン軍は約2万5000だったとされる。数で劣る軍が、守りの堅い丘を正面から攻めたことが、大きな損害につながった。

退くときの崩れ

ホルンが攻撃をあきらめて退こうとしたとき、皇帝軍の騎兵がベルンハルトの隊を破った。退く途中に攻められたスウェーデン軍は総崩れになった。

主な武将とその後

フェルディナント(のちのフェルディナント3世)皇帝・バイエルン軍(フェルディナント王子)

皇帝フェルディナント2世の子。この勝利で名を上げ、1637年に皇帝となった。

ホルンスウェーデン軍(ホルン・ベルンハルト)

スウェーデン軍の司令官の一人。この戦いで捕虜となり、数年間とらわれた。

ベルンハルトスウェーデン軍(ホルン・ベルンハルト)

ザクセン=ヴァイマール公。敗れたあとフランスと手を結び、フランスのお金で軍を率いて戦い続けた。

合戦のあと

スウェーデン軍は約1万2000人が死に、南ドイツはカトリック側に戻った。1635年、多くのプロテスタントの諸侯が皇帝と和解した(プラハの和約)。

ドイツでハプスブルク家の力が強くなりすぎるのを恐れたフランスは、それまで裏からお金を出すだけだったが、1635年、ついにスペインに宣戦し、自ら戦争に加わった。三十年戦争は、宗教の戦いから、フランスとハプスブルク家の覇権争いへと性格を変えていく。

諸説と論点

テルシオは古い戦い方だったのか

ブライテンフェルトでスウェーデン軍に敗れたことから、テルシオは時代遅れとされがちである。しかしネルトリンゲンでは、丘の陣地を守るテルシオがなお強さを見せた。戦い方の優劣は、地形や使い方によって変わるといえる。

関連年表

1632年11月リュッツェンの戦い。グスタフ・アドルフが戦死
1634年2月ヴァレンシュタインが暗殺される
1634年9月6日ネルトリンゲンの戦い
1635年5月プラハの和約
1635年5月フランスがスペインに宣戦
1643年5月ロクロワの戦い

両軍の陣容

皇帝・バイエルン軍(フェルディナント王子)約2.5万

部隊兵力その後
皇帝軍・バイエルン軍約15,000
皇帝騎兵約1万

スペイン軍(枢機卿王子フェルナンド)約6,000

部隊兵力その後
アルブーフの丘(スペインの陣地)アルブーフの丘
スペインのテルシオ約6,000

スウェーデン軍(ホルン・ベルンハルト)約2.4万

部隊兵力その後
ネルトリンゲン(包囲されている)降伏
ホルン(スウェーデン軍右翼)約14,000降伏
ベルンハルト(左翼)約1万損害

決め手

丘への攻撃

ホルンは丘の上のスペイン軍の陣地を攻めた。スペインのテルシオは、槍の壁と銃兵の交代射撃で、スウェーデン軍の攻撃を15回もはね返した。スウェーデン軍の中で味方どうしの撃ち合いも起きた。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「三十年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:C・V・ウェッジウッド『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)