15月19日 朝
両軍の布陣
スペインはフランス国境の町ロクロワを包囲した。救援に来たアンギャン公は、森にはさまれた狭い道を抜けて、スペイン軍の前に陣を敷いた。5日前に国王ルイ13世が亡くなったばかりだった。
合戦絵巻 ─ 三十年戦争 勢力図
5月19日 朝
1643年5月19日、フランス北東部のロクロワで、21歳のアンギャン公(のちの大コンデ)の率いるフランス軍が、スペイン軍を破った。アンギャン公は自ら騎兵を率いてスペインの騎兵を破り、敵の背後を回って戦場を駆けめぐった。残されたスペインの大方陣(テルシオ)も崩れ、100年以上ヨーロッパ最強とされたスペイン歩兵の時代は終わった。
上の観戦プレイヤーでは、フランス軍(アンギャン公)約2.3万とスペイン軍(メロ)約2.7万、あわせて約5万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの5つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。
1635年にスペインに宣戦したフランスは、スペイン領ネーデルラント(いまのベルギー)との国境で戦い続けていた。
1643年、スペイン軍はフランス北東部の国境の町ロクロワを包囲し、そこからパリへ攻め進もうとした。フランスでは5日前に国王ルイ13世が亡くなり、跡を継いだルイ14世はまだ4歳だった。
フランス軍を率いたのは、21歳のアンギャン公。森にはさまれた狭い道を抜けて、スペイン軍の前に陣を敷いた。
場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。
15月19日 朝
スペインはフランス国境の町ロクロワを包囲した。救援に来たアンギャン公は、森にはさまれた狭い道を抜けて、スペイン軍の前に陣を敷いた。5日前に国王ルイ13世が亡くなったばかりだった。
2朝
アンギャン公は自ら右翼の騎兵を率いて、スペインの左翼の騎兵を打ち破った。一方、フランスの左翼は押されて、大砲を奪われた。
3朝
アンギャン公はそのままスペイン軍の背後を回り、押されていた自軍の左翼を助けて、スペインの右翼の騎兵を背後から破った。
4昼
騎兵を失ったスペインの歩兵は、大方陣(テルシオ)を組んで戦い続けた。3度の攻撃をはね返したが、大砲で崩され、ついに降伏した。痛風で歩けず輿に乗って指揮した老将フォンテーヌも戦死した。
5結果
100年以上ヨーロッパ最強とされたスペインの歩兵が敗れ、フランスの時代が始まった。アンギャン公は、のちに「大コンデ」と呼ばれる名将となった。
アンギャン公は自ら右翼の騎兵を率いて、スペインの左翼の騎兵を打ち破った。両翼の騎兵を失うと、スペイン軍の歩兵は守り手を失う。
アンギャン公はそのまま敵の背後を回り、押されていた味方の左翼を助けに行って、スペインの右翼の騎兵を背後から破った。若い指揮官の大胆な動きが勝敗を決めた。
騎兵を失ったスペインの歩兵は、大方陣を組んで3度の攻撃をはね返したが、大砲で崩され、ついに降伏した。
のちのコンデ公ルイ2世。この勝利で名を上げ、「大コンデ」と呼ばれる名将となった。のちにフロンドの乱では王に背いたが、許されてルイ14世のもとで戦った。
スペイン歩兵を率いた老将。痛風で歩けず、輿に乗って指揮をとったが、戦死した。
スペイン領ネーデルラントの総督で、スペイン軍の総司令官。敗れて退いた。
ロクロワの勝利で、フランスはスペインに代わってヨーロッパ一の陸軍国となっていく。三十年戦争は1648年のウェストファリア条約で終わったが、フランスとスペインの戦いは1659年のピレネー条約まで続いた。
ルイ14世の時代、フランスはヨーロッパの中心として栄えた。ロクロワは、その始まりを告げる勝利として記憶されている。
ロクロワはスペインのテルシオが敗れた象徴として語られてきたが、スペイン軍はその後も長く戦い続けた。一つの敗北で国の力が尽きたわけではない、とする見方も強い。
| 1635年 | フランスがスペインに宣戦 |
|---|---|
| 1643年5月14日 | ルイ13世が死去。ルイ14世が即位 |
| 1643年5月19日 | ロクロワの戦い |
| 1648年10月 | ウェストファリア条約。三十年戦争が終わる |
| 1659年 | ピレネー条約。フランスとスペインが講和 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| フランス歩兵 | 約15,000 | |
| アンギャン公(右翼騎兵) | 約4,000 | |
| フランス騎兵(左翼) | 約4,000 |
| 部隊 | 兵力 | その後 |
|---|---|---|
| スペインのテルシオ(フォンテーヌ伯) | 約18,000 | 降伏 |
| スペイン騎兵(左翼・アルブルケルケ) | 約4,500 | 損害 |
| スペイン騎兵(右翼・イセンブルク) | 約4,500 | 損害 |
決め手
騎兵を失ったスペインの歩兵は、大方陣(テルシオ)を組んで戦い続けた。3度の攻撃をはね返したが、大砲で崩され、ついに降伏した。痛風で歩けず輿に乗って指揮した老将フォンテーヌも戦死した。
部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「三十年戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:C・V・ウェッジウッド『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)